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、、、、、筋力トレーニングをお伝えする意思はありません。


いえ、、、、ないと思うのが素直な感想。。。


あってもそれをやったら、、、ジャンプしかできない動き作りになるというのが、素直な感想です。


動きの質が高まる結果で得られる「ウエイト」なら、いくらでも知っています。


でも、何をやればいいのか???どう動けばいいのか???切り返しを強調したり云々???


そうすると、、、、筋トレになります。。。ワンテンポ遅れた筋トレになります。


跳ぶことしかできない実用性に欠けた筋トレになります。そういうことを伝える意思はないということ。


筋力シフトとは違う、高尚な動きのシフトを会得して、素直な動き・力感のない自然な動き。


作られた動きとは一線置いた動き。やっぱり、できなければわからない。そう思う。。。


でも、、、、、、人が人であるのなら、、、必ず鎧が剥がれ落ち、「動き」はできるようになると思う。。。


そういうことなら、、、伝える、、、いえ伝わる自信がある。。。それがうちの仕事ですから。。。


でもうちは、、、ジャンプ力に特化しないのに、ジャンプ力がついた例がけっこうある。
でも何が(どの運動が)よかったから???とは思いません。
人間らしい動きに帰化した結果でしかない、と思う。跳ぼうとしない動き。
跳ぼう、、、とするのは、「跳べてないから、跳ぼう」とする意思のあらわれ。


(重さなどを)受け容れることじゃないですか???というのが、、、自分のなかの、模範回答です。


関連:言葉が間違ってます
かなり前の記事でも同じ話をしてます


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指導論の話です。

個々の注意点(点)はカタチどおりなのだろう。

でもどうして動けばぎこちないのか。

それでもまだ懲りずにまた別の点を探し、体幹だ、とか固めろとか、カタチになってしまう。
スピーディーにしなければ、、、と腕力でがちがちになるか、全身が固まっているか。胡散臭く順々に連動させているか。個々の筋を意識させたりするか。と素直ではない感性のない硬い頭の判断力。

結局、核なるものを掴まなければ、、、という話だ。

安全と効果の基準も、カタチでしかないのだろう。

ようは、好きなんじゃなく、面倒を避けたいのだ。
エビデンスどおり。
反論するならデータを。

もっと身体全体で感じていくような判断力が必要だと思うし、
これは人として当たり前の判断力だと思う。
それ以前に、運動楽しめているかどうか、だと思う。

少なくとも、運動の核を掴むのは、楽しむ心から来る行動がはじまりだと思うし、
誰よりもうまい楽しみ方を知っているのが、指導のプロフェッショナルだと思うし、
自分は少なくとも、そこに理想を掲げて、日々働いている。

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2014.06.04 信頼
心配されるよりも、信頼されたほうが、はるかに元気が出るし、勇気がもらえる。
(根暗ではなく)明るい人には、それをわかっている人が多いようにも感じる。

誰だって、前を向きたいものです。
ほんとうに欲しいのは、その後押しであって、かわいそうだのといった同情ではない。
そこに浸ればどんどん人の価値が低下する。それを愛情とはとても思えない。
なりたい側への気持ちが、人を動かすのです。


情報過多の時代。
運動においても実践する前から頭で解剖図を描いたり、ベクトル図を描いたり、
あれはだめだから、これはだめだから、、、

素直に自分を受け容れもせず、心配心配、、、と情報どおりに動いたり、、、
でもほんとうに情報が伝えたいのは、
「身体を信頼することで、ついてくるものだ」、ということではないのか。

あれを食べれば太る、と思って食べるから、太るのです。
予防のために行う、というのが、とても後ろ向きだと思う。
溌剌としたいために行うから、溌剌とするのです。結果もついてくるのです。

もちろん加減も重要。
加減を忘れてきつすぎるものやゆるすぎるものを選ぶのは、心配からくる不安の裏返しからだろう。
むしろ、義務感とか楽しんではいけませんとかそういう暗さではなく、楽しむということが先に来るだろう。
そういう明るさ。そういう溌剌さ。だからそこには調和がある。

信頼は、運動の加減も調節してくれないだろうか。明るく調和のある行動へ導かないだろうか。
何より人を、明るく健全にしてくれないだろうか。
17年この仕事をやってきて思う素直な声です。
スポーツ補強との名のもとにあるそれである。

私の結論からいおう。



そんなものは存在しない!!



存在するのは、残念ながら「ごっこ」でしかありません。
一見追求したかのように見えるのですが、じつはうわべでしかありません。



うまくいかない理由は、動作の質が「退行するから」です。

ますます「力任せ」になり、本来のスポーツとは遠ざかるからです。
実用性のない種目別筋トレ(呼吸の合っていない自己本位な筋力動作)となってしまう、ということ。
筋力に頼る技術が学べてしまうのですから。動きの質が低下する技術が学べてしまうのですから。

「点」と「点」を結んでできた「線」は、じつは「元々あった線」ではなく「むしろいびつな線」
はじめに「線」を見つけるべきで、その「線上」に「点」がいくつもあるものなのです。


なんとなく感じたでしょうか???

このスポーツ動作の関節運動に類似した筋力強化を行えば、一見工夫したように思えても、
じつはますます筋力に頼ってしまうこととなる、机上の空論になってしまう、ということです。
もはやスポーツではなくなってしまう。それが「壁」の秘密です。
(ついた筋力分は向上しますが、動きはどんどん退行するわけです。負担も大きい。ケガもしやすい)



強化や補強は、うわべの筋力強化ではなく、動きの総合性や動きの質にあるのです。



覚えておいてください。強化とは「筋力に頼らない身のこなしが土台」
それができた人が強化するから、強化が活かされるのです。
だから、、、変わっていけるのです。

そして、もうひとつ。
ウエイトトレーニングは、筋トレではなく、いちスポーツ。
総合力を学ぶ手段。土台の確認手段。土台を高め、ステータスを高めるもの。




固める・意識する・神経を興奮させる・・・だの、「動きのシフト」を誤ってはいけない。

・固めない真のバランス
・神経系ではないスピードやパワー
・意識や指令ではない技術や身のこなし


あとは「その線上から」点が見つかるわけですから。。。。これが、ほんとうの実用性です。


うちではパワーリフティング3種目(スクワット・ベンチプレス・デッドリフト)や、
人によってはクリーンやドロップスナッチなどウエイトリフティング要素も取り入れたり、
部位別トレーニングは最小限で、あくまで「基本種目」で構成されています。

しかし、、、「動作の質が違う」ということ。



その総合性がいつしか架け橋になってしまい、その専門スポーツなどのパフォーマンスが、



「特化した工夫をしていないのに、なぜだか知らないうちに、、、、、できちゃっていた!!」



おかげさまで、その域を体得された方を多く輩出させていただきました。
でも、そう感じたあなたが正しい!!それぐらい身体は賢い。
こういうことを現場で行っています。



どうしても疑い深く感じる方は、こちらをどうぞ