運動神経とは、簡単にいえば、出力端末への経路です。脳や脊髄から発信されたものが筋へつながるその経路を指します。その精度が高ければ高いほど、多くの筋繊維が運動に参加します。
したがって論理的にいえば、「運動神経がいい=速くて強い」・・・こういう解釈となる。

しかし、、、、、
「あの人は運動神経がいいから、いろんな運動を簡単にこなせるんやわ?」みたいな会話。
この場合の運動神経というのは、むしろ、「運動神経がいい=運動のセンスがいい」・・・という解釈。

ここで本題に入ります。

仮説というのは、後者のように一見“素人判断”にも取れるようなことが、じつは当てはまるのでは???ということである。運動神経は発揮能力だけではなく「動きの巧さ」や「動きの学習」というか、そういう意味合いもあるのでは???と感じるからである。

そもそも運動は、ひとつの筋だけで動くものではなく、色んな筋が連携しあって動きがなされるはずだ。しかも、力んでしまえば、かえって動きが硬くなり、速さや強さにも悪影響が出るわけですから。「いかにも頑張ってます!!」の割には動けていない、よりは、「いかにも普通なのに、見た目以上に速い」とか「簡単そうなのにすさまじい」。そうあるべきでしょうから。

また、運動神経自体が「出力の端末」ではあるが、それ以前にもっと大事な問題がある。そもそも「出力」以前に「入力」(ようは、負荷刺激を吸収して脳や脊髄に向かう入力端末のながれ)もなされているはずで、その対応で「出力」がなされているわけで。それぐらい自動的なもの。それが体のしくみだろうし。

トレーニング初心者においては、筋肥大よりも神経経路の発達のほうが大きい。使われなかった経路、ようは新たな運動学習がなされる期間であり、初心者段階の発達は、運動学習による発達なのだ。その学習とは、「入力探知」というか「負荷の受け止め」という「自然さ」が経験とともに巧くなることを指すはずだ。ようは、動きにムダがなくなるのだ。そういう下積みがあるから、経験とともに運動効率がよくなるその副産物で、刺激や肥大・スピードやパワーなどの効果につながる。それが正しいトレーニングのはずだ。

そう考えれば、、、
「運動神経の発達=センスや動きの質」という素人的な判断も、まんざらではない
といえないだろうか???

ところで、速さや強さに、硬さが要るのだろうか???
間違った動きを学習した実用性の欠ける運動神経の発達よりも、まずは運動学習というか動きの学習をゆっくりでもいいから行い、だんだん速さを求めていくほうが???とも感ずるし、うちらはそうしている。「ゆっくりでいいから、等速」なのだ。

自分が感じるのは、元来「高速=等速での高速」だということだ。一局面だけの高速なら、力めば誰でもできることで、何の運動学習にもならないと思うのだ。うちらは激しいスピード練習などはあまりしていない。でも「いざ速く」といってもそれなりにできてしまうし、スポーツなどの実践で結果が出ている声はうちらではよく聞く。

速さ強さの前に、むしろ正しさや巧さがいるのではないか???
これが、運動神経活性化に関する最大級の仮説です。

稽古や練習における、いやになるぐらいの反復練習。あるいは、日常動作での心がけ。
これこそ「運動神経活性化のための学習」であり、こうして実用性ができると思うのだ。

動きの質は日進月歩であり、そうしてできた体こそ「運動神経が高く」「センスがあり」「実用性の高い体」であり、そういう努力のできる人が「ほんとうに強い人」「ほんとうにできる人」だと自分は思う。
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