最近感じるのは、原理原則から行動を起こそうとすると、視野が狭くなって可能性が狭まることである。原理原則というのはむしろ結果の産物であって、もっと大事な大元ってあるんじゃないか、と。
順序の問題なのだ。運動はひとつの文化であって、科学から生まれるものではないはずで。

体にいいから行う。効果があるから行う。
そうですか???
うちらは少なくとも、、、行うから効果的で、行うから体にいいのだ。運動も食事も。

ほんとうの原理原則とは、、、、
その運動であれ食事であれ、それ自体を楽しめるか。。。だと思うのだが。。。


「仕事」が好きなのか???それとも「金儲け」が好きなのか???


あえて極端なたとえを書いたが、結局同じことではないだろうか???
(たとえではない部分も含まれるのかもしれないが・・・)

安全で効果的だから楽しい、というのは、いかにも「でっちあげ」だと思う。金儲け主義というか金儲けが好きになることと変わらない気がするのだ。何か根本がずれているのだ。だからムダに深かったりそこに感動したり、妙に姑息だったり・・・。それは文化でもなんでもないと思う。そういう人に「何がしたいのか???何を求めてるのか???」問い詰めれば、どんな迷宮に入るだろうか。関連記事

そうではない。本来は、楽しさのなかに、安全と効果があるのだ。運動自体はそもそも好きでやることではないか。その気持ちがあるから、体が動くのだ。適応できるのだ。こちらとしては楽しさを伝えたいのだ。そして「楽しさを持つオーラ」で包み、誘導するのが自分の仕事だ。金儲けではなく、仕事なのだ。

効果に代償があるのは、そもそもおかしいことで。
体に装着することがコンディショニングではないだろうし。
意識しなければできないことをマスターすることではないだろうし。

楽しむから、本気になれるし、熱くなれるのだ。
楽しむから、方向性が明確になり、正しく向上するのだ。
楽しむから、加減がわかるのだ。

何より、そういう天然さをかもし出すのが、自分の仕事のひとつなのだ。

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