2017.10.10 領域
なんか、ジムでトレーニングしてて、ふと感じたこと。。。



おれのやり方は、一手段にすぎず、
それを誰かに押し付けるのは、
おかしい!!




たしかに、力みがなく、すごいスムーズで、ローリスクハイリターンなやり方。
人を自然にしてくれ、ほころびが取れて、心身軽くなって。。。
でも、そういう価値観のない人に、いきなり「はいこうしましょう!!」って言えますか???

こういうのは、誰かの勧誘じゃなく、自分の心が決めることだと思うんです。
いうならば、
誰かが「こうだ」といっても、「自分も価値観がそう」だったら、そうすればいいんです。

惑わされて自分を見失うほうが、良くない。
そこにこだわりがあるんなら、そのままでいいはず。
何が本当に正しいか、なんて、誰にわかるんですか???

おれも、あくまで自分の理想を求めてるだけ。

勧誘なんてまっぴらだよ。

自分を見失うと、自分がそうであるように、他人にもそうふっかける懸念もあるだろう。
いかにも「これが正しい」みたいなお説教っぽい暑苦しい感じの。。。
でも、、、おれに言わせてもらえれば、、、



判断ぐらい自分でできる大人なんですから。。。



だから、おれが勧誘しないのと同じように、
みんなが自分を大事にすればいいように、
おれがどういうやり方をしようが、文句を言われる筋合いもない!!



だから、大事なのは、自分を貫くこと。



何が正しいなんて、言い切れないし、
おれも、少し、「あるべき姿」って自然体になれば、ありのままで、、、、と説いたが、
そもそもそれも、自分の価値観でしかない。あり方なんて、正解はないはず。



大事なのは、自分の本心と直観です。
そのうえで共鳴があれば、私の出番だということ。
そして、私にできる役目は、、、自分信念をさらに突き進め、向上させること。
私にできること。そこを明確に、磨きもかけていくこと。勧誘能力じゃありません。



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これまでは、「でも・・・・」という人にたいし、こちらもまじめになってしまい、その人の思うばかりに、「愛のある説得」をしてきました。たしかに最後には、わかってくれたときには、「やってて良かった」って思いました。報われた、って気にもなりました。でも、思ったんです。その間のつらかったことつらかったこと。。。最後の喜びのために、ここまで我慢してたことが、今振り返れば、正しかったのか、わからなくなってきたんです。

うちは、数値を捨ててでも「うごき」を見直します。あるいは初期だからこそ、力に頼らない動きを会得してもらいます。でもなかには、できない言い訳に、本人力みまくっていることを棚に上げて「力がないから」とか、力みまくってることを棚に挙げた「これってどういう意味があるんですか???」という質問など、当トレーニング(の方針)を何だと思ってるんだ、と相手にも自分にも失望したりもした。でもここまで掲げてても、まずは「理解は得られていない」と考えるようにしました。その上で、「でも・・・・」が始まったら、その「でも・・・・」を受け入れます。ただし、「でも・・・・」と言った方の責任のもとで。私の方針を告げた上で、「それでもあなたがこう思うのでしたら、、、あなたの責任の元で」。じゃあ、、、力をつけましょうか。。。それで満足なら、それでいいんです。

最後のためだけのその我慢というプロセスより、我慢のないプロセスを刻もうと思います。
私が、私を、大事にするためです。
でも結果、相手を育むことになり、相手を成長させるんじゃないか、と思います。




若い頃、、、いえ、、、つい最近までそうだったのですが、、、


お客様のひとつの質問にたいし、
私の好奇心でつい「10個も20個も」答えてしまう勢いで楽しく答えていました。
マニュアル返答じゃなく、楽しい空間にしたい思いから、自分が楽しみたいから。


角度を変えれば、また違う見方もできるし、
これが絶対、とは言い切れないわけです。
でもそこが「楽しい」っていえば楽しいのですけれど。。。


でも、、、それをやめてみようと思います。


最低限の答えしか言わない。


ただ、興味が沸き立つなら、向こうからまた良い質問をされるはず。


そのときが、私のほんとうの腕の見せ所だと思った。


ようは、、、、中立なオーダーメイドです。




これは、ウエイトトレーニングの動作ではもちろんなんですが、、、
ありとあらゆることにもいえるような気がしてきました。

人の理想はその人それぞれです。
自分の理想と他人の理想とが一致するとは限りません。
重りを与えて、どう感じるか、それはその人次第です。

だから、、、こう感じなさい、とは言いません。

やらされ感でやったほうがいい、という人もいる。
流れ作業が良く、好きでやってるわけじゃないのなら、それでも良い。
反対に、理想や奇跡を知って、味わってみたくてやるのも、それで良し。

ただ私は、、、ウエイトトレーニングや運動を通して、豊かさを追い求めています。
方法論ではなく、感じ方を重視しています。
自分にこうした自由があるのだから、他人にも自由があっても良い。

そう思えるようになったのです。



でも、、、自由が与えられる以上、、、責任も発生します。



それだけです。



誰がその選択をして、その責任が誰にあるのか、ということです。





2017.01.19 仮面
多種多様ですが、一概にいうマナーの悪い人や不快を感じさせる人。
故意ではない場合も含め、彼らを見てふと感じたこと。
以前はKY(ケーワイ/空気読まない)という言葉が流行ったが、



自分が思うこと。






彼らは、、、



周りが見えてないのではない。



自分が見えてないんだ。





このような質問をされたときだったり、
このような質問にたいする答えを書籍のタイトルなどで見かけたときです。
その、このような質問とは、、、、



じゃあ、、、どうすればいいんですか???



ブログのトップページでも申したように、
「そういう気持ちが、そういう行動になる」のです。

指導中は、私は基本、「たったひとつの答え」は申さない方針です。
ひとつの答えにたいし、多角的多面的に答えます。
選択するのは「本人」ですから。

また、「基本はこうかもしれませんが、、、私はこう感じます」という答え方をします。
これも同様の意志です。

「いろいろありますが、これは効果が高いかもしれませんね」
「じゃあ、、、それでやります!!」
私も言葉を失った瞬間でした。
判断せず、吟味もせず、「どうすれば。。。」さえが解決すればいいその気持ちを感じたから。



ブログでは方法論ではなく、「どういう気持ちで」を述べ続けています。
ホームページのほうは、多少のカタチは残しつつ、それでも「気持ちの部分」を謳ってます。
そのなかに「内容」も含まれるでしょうし、
「何かが違う」「豊かなあり方」が伝わる。カタチじゃない。

でもそれでも「じゃあ、何をするのですか???」「じゃあどうすればいいのですか???」



ダイエットひとつとってもそうです。私は太りにくく、代謝も高い。たくさん食べています。でも体型が変わりません。むしろ軸が立って、まっすぐ整ってきています。ただ、、、食べる上での「気持ち」という部分は謳ってきたつもりです。おいしい、と罪悪感なしに食べている。味わっている。感じている。その結果として、味わえるものを基本に食べている。旬なものだったりもします。炭水化物だって必須です。含水炭素という別名を持つ必須なもののはずです。でも執着でそうしてるのではなく、はめを外すときだってあります。でもまた元に戻っている。

それで出た質問が、「どういう秘訣が・・・」

私はためしにやってみた玄米食がおもいのほかはまり、おいしいし、便通も激変した。
身体が喜んでいるんだ、と思えたし、かといって、玄米も合わない人もいます。
だから、お薦めした覚えはありません。

その状況で出たコメントが、「武田さん推奨の玄米食ですが、、、」という冒頭。。。



「これをやれば運が上がるよ」とトイレ掃除をやるようなものです。
でもそれを「嫌々」だったり「仕方なく」だったりすれば、
やればやるほど運が悪くなるトレーニングをしてるようなものではないでしょうか。




「じゃあ、どうすればいいのですか???」
「こうすればいいです」



それに満足してしまうぐらい、自分を持ってないということです。
理由は簡単。先日申したように、、、
「自分(の心)が変わろうとしないから」「誰かが変えてくれる、と思ってるから」

だから、、、責任の範囲を超えて「じゃあ、どうすれば」になるのです。
どうすれば、、、ではなく、その気持ちを変えることだと。
気持ちの持ち方やあり方などを変えること。自分で、感じることだ、と。



その気持ちに沿った行動のひとつを、、、私はお届けしてるまでです。
その行動のひとつによって、、、多くの方が結果を出されたのです。




できた人ほど、感じ方を大事にし、カタチじゃなく感覚や感情を大事にします。
いい頑張り方とは、どういうあり方をいうのか???
我慢して、思考して、、、「点」と「点」をつなぐ「でっちあげの工夫」をすることではなく、



その気持ちに沿った行動だけで、、、、
“パタパタパタ、、、”と将棋倒し”のごとく




できる人ほどそうなりますし、うちは、そういうことを目指しています。
目指したのではなく、私の意志でそれを選んだ。

ここまで説明しても尚、、、
「じゃあどうすればいいのですか???」
私にも手に負えません。



たしかに先日、「一期一会を大事に」とは申しました。
傷つくのは、未熟だから???
違います。「一期一会を大事にしてるから・・・・」感情がストレートなのです。

嬉しかったりしたときはほんとうに嬉しいし、
傷ついたときはほんとうに悲しいのです。
でもそう「心に寄り添って、いたわってあげる」から、我慢しないから、自分を大事にできる。
自分のことを肯定してあげてる。自分の価値も、引き上げている。




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強さの意味
先日にもこれについては述べました。そういう気持ちで取り組むことが、強さを育むと思います。
今日は、これをもっと具体的かつ端的にします。

力みのないその調和が強さです。でももっともっと具体的に述べたい。
調和ってどういうこと。なぜ調和が強さなの???

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私が感じる強さとは、、、ひとことで、、、




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もちろん、、、やる続けることは、大事ですよ。
その上での話です。
... 続きを読む
感覚や感情をバカにしないで欲しい。
そういうのを捨ててしまうシステムが、人が悲鳴をあげる原因だからだ。
そもそもそういうシステム化では、速度が遅い。
いちいちカタチを待たなければ動けないからだ。

常識で判断すればわかることも、データーを待たなければいけない。

それまでの時間帯は、ずっと、人は悲鳴にさらされる。

もっとひどいのは、そのシステムはほぼ「思考」から作られることだ。
目的のためには手段を選ばない。売れるものなら、どんなものでもどんな手段でも売る。
そこまでしなければいいけないぐらい、だったら、なぜ襟を正さないのか???
目先の利益、少々の我慢、、、それはいったい、いつまで続くのか???

そもそも、思考に縛られてしまえば、「何が、襟を正すことなのか」という判断さえもできなくなる。
感じられないからだ。感づかないからだ。当たり前のことなのに。
そうやって、「思考」というものさしでしか判断できなくなる。暴走列車です。これでは。

ただ、世の中は変わらない。
でもせめて自分だけは、
今の声を聞こう。今の情報を感じよう。運動やトレーニングではとくに。

そして、良い声だけじゃなく、悪い声にも耳を傾けるべきだ。
でもそれは、、、ほんとうは、良いも悪いもない。程度の問題。
純粋な心の声なら、、、大いに受け容れよう。




理解してもらえないのが、私は悲しかったんだ
期待したことが裏切られたので、むなしくなっているんだ
居場所がない気がして、つらかったんだ




世間には期待してはいない。
仮に環境を変えても、同じような境遇になる、ともいうし。
ただ、、、自分の感覚や感情を大事にしたほうがいい、とだけはいえる。

そして、、、そういう世界を作っていきたい。
自分の取り巻く環境だけは、感性豊かな透明な世界でありたい。
運動(俺のトレーニング)を通じて。。。





尾崎豊  卒業




2016.10.04 無責任
おいしいものには、脂肪と糖が含まれる。。。

そうやって、脂肪や糖を毛嫌いする。脂肪や糖が悪者扱いされる。
でも、太ってなかったり健康だったりしたころは、
「毛嫌いせずに、何でも食べなさい!」
なんて言ってなかったっけ???そういう気がしたりしましたけど。。。

そういうのって、「食」にたいする冒涜でしょう???

自分の立場でころころ考えが変わる奴のいうことは、信用しない。



何かのCMで「前だけ向いてたらいいんだよ」みたいなせりフで若者を諭したら、
「それって、無責任だと思います」
という若者。

その若者こそ無責任だということです。

まるで聞き分けの悪い中高年と一緒でしょう???
今に集中しようとせず、今に責任を持とうとしてないんですから。そういう聞き分けの悪さ。
これこそ無責任だ。

結局、リスクマネジメントやらたとえでいうお役所仕事みたいになって、人生を「流す」。
「じゃあ、お前は、何がしたいんだ!!どうしたいんだ!!」
っていうのがないんだ。人生を流すほうが、無責任だ。