2017.03.20 感じ方の開拓
トップページに採用した動画です。
じつはこれまでの動きをひとまわりバージョンアップさせた動きでした。
自分の実感とおいかけてるものを、今回は紹介します。その前に動画を。
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動画の前半から中盤のクリーンでは、ジャンプ動作と同時に肩がすくむ動作(シュラッグ)が「自然と」と入るのですが、以前は、腕は肩や肩甲骨・鎖骨と一体化してるから、バーベルを手でぶら下げてるのではなく、もっと中心でぶら下げている、と見解しました。それ自体は正解だと思っています。

しかし今回は、ようは「天井を向いた部位」から落ちるためにも、より単純にそうできる工夫。

そこに気づいたというか、もちろん力むわけじゃありません。
言葉でいえば、、、
「自分が、、、ある」という感触や実感。

ニュアンスでいいますが、
ただ単に「のほほん」と過ごして生きて惰性で流されるように感じるのか、
明らかに「自分が、、、ある」と実感して触れていくのか、
の違い、とでもいいましょうか。。。

「自分が、、、ある」と実感することで、
「体のそこ」に自分が集約され、他が安心してリラックスできる。
きっとリラックスしてるときは、落ちてるはずでしょうし。

つまり、考えたり管理したりしなくても、結果的に「天井を向いた部位」から落ちてくれる。
手挙げにもならないし、根本から体も使え、上下がよりつながり、一本通る。
繕った軸じゃなく、リアルな軸だから。

ただ、、、力むと元も子もありません。
「自分が、、、ある」
ある、と感じるだけで、力までは入れてない。存在を認める、そこを認める、というか。

高い部分の真下には自然と低い部分が来ます。それが重力環境だと思います。
でも、通らなければおかしい場所みたいなのがあって、
そこの存在を認めることで、これまで以上の落ち方やつながりや脱力が叶うような。。。

今、それが手さぐりどころか確信めいた実感があり、
他の動作でも、あまりに動けてしまい、しかも「ラク」
上下のつながりや考えずして動けてしまう心地よさ。動ける楽しさ。

天井を向いた部分から重力がかかる。
天井を向いた部分で重力を受け止める。
もしかしたら、もっと違う場所で先に重力を感じ、受け止めているのでは???

そういう実感をあえて受け止めています。

でも、「その場所」を真似事で「固めたり」しても、他の部位まで力んでしまいます。
「自分があるんだ」という感覚だけではなく、
これまでどおりの「重力の受け方」や「脱力」。こういう基礎があって、できるものだと思います。

実際に、固めるほどでもないし、「ある」というだけで、
ほかの体の部位は、「放任」ようは「放ったらかして、任せている」
それで結果的に、なぜだかおそろしくつながってしまう。でもラク。

この感覚は、、、「自分がある」という強い意志。動揺しないもの。
固めて気張るわけではないし、
意識でがんじがらめにするわけでもない。

今までの「落ちる」というエンジンに、ターボが効いた感じ。
でも、ターボを効かすにも、元のエンジンがちゃんとしてなくては、ということ。
何というか、ようは、あるんです。あとは、それに見合う自己信頼度。そういう次元です。




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2017.03.18 温まる選択
私の考え出した動作は、やはり他にはないものかもしれません。
常識で「考えられる」ことを選択せず、本心で感じられる選択をしているから。
でも、「感じ方もどき」には注意を払う必要があるように思います。

つい世間に歩調を合わせ、それと照らし合わせるという答え合わせにあるのではなく、
先入観を捨てて、今を感じ、自分で感じることが重要です。
私の動画は、自分でいうのも何ですが、ストレスがないやわらかい動きだと思います。

論理で動きを作ることは、たしかにできます。
しかし、
感じ方で感ずることのほうが、正解に近いのではないか、

ウエイトトレーニング、ようは、おもり。これは、動きの先生です。そう思います。
我々に「感じる選択」をさせてくれるのです。
元は、どこで感じるのか、どう認め、尊重しあえばいいのか。
犠牲や我慢、あるいは支配、ではないと思います。

自然体。
それを教えてくれる「自然物」(おもり)
結局、それだけのような気が今ではしています。

感じるためにも、リラックス。
感じられれば、さらにリラックス。
意志もはぐくまれ、そうしたい、これが理想だ、となってくる。

それだけのような気がします。



マイノリティかもしれませんが、
だからこそ価値があるかもしれないし、
本当の意味で、運動を愛する人間として、つとめていきたいです。
いいえ、、、つとめます。



個人的な話、いや、動けて動けて、快適なんですよ。。。
(っていつものことかいって話になりそうですが、、、いつも以上に、、、という意味で)

たまに走ってみたりするんですが、、、
鎖骨も肩甲骨も上腕も遊離したかのような腕振りになって、
やばいぐらい身体が軽い(と感じる)んですよ。。。速い動きにも対応しやすくなってきて。。。

ただ、、、

と、ここからが本題です。

その肩甲骨とか股関節とか、ようは中心部位を意識してしまうと、、、硬くなるのよね。。。
できた結果から原因をそれに求めると、失敗するよね。。。
ようは、、、「結果」で起こることを「原因」としないこと。

脱力(リラックス)して、落ちるからこそ、叶うのです。
たしかに中心を使おうとして、中心は使えますよ。でも、落ちないからね。力んでるからね。
それより、感じられてないでしょう。だって「体へ意識を課して」「思考してる」んですから。

まっさらな感覚が大事で、
思考で作られた感覚や感情に、だまされてはいけません。


「思考」を捨てて、「感じ」ましょう。
「感じる」にも、まずは「リラックス」しましょう。
それが「正しい原因」となって「結果」を導きます。


現在進行形で改善中のスナッチ。画だけみたら溜めてるように映りますが、原因は、違います。
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(画が気に入りませんが)クリーンはやや慣れただけあって、ほ~らこんな感じ。
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2017.03.03 進化
落ちるという私が作った動作法を私が提唱しています。10年以上も続いてます。でも、10数年前の「落ちる」と今の「落ちる」では、根本では一致しても、やはり変化というか進化というか、改善もあるし発見もあるし、抽象が現実味や具現性を帯びたりするようになってきたと思います。重力と時間にかみ合う動きですが、重力とかみ合えば時間ともかみ合える、とも言い換えることだってできます。そういうことを、ウエイトトレーニングやその技術、いえ重さの感じ方が教えてくれたりします。

感じ方だって、最初に感じた感じ方と、経験を積んだ感じ方では、大きく異なっていきます。しかし、最初のころは、簡単な感じ方でじゅうぶんです。それよりもまずは、「我慢せずに、感じること」「争わず、味わうこと」だと思います。このブログでは、私の最近の感じ方を紹介したことがありますが、いきなりそれをやるのではなく、それこそ落下するりんごをどうキャッチしたら手が痛くないか、あたりから始めるとか。

一気に完成させよう、とするのは、一気に「だめだ」「まだだ」を実現させてしまいます。
「まだだ」ではなく「いまは」を実感することで、そこであえて止まることで、達成感を味わえます。
「いまは」の達成感。そのプロセスです。

感じ方に従順になる、ということは、自分がわかる、ということです。
自分の愛し方がわかる、自分の肯定の仕方がわかる、ということ。
考えてしまえば、いくらでもたくさんのものが作り出せるでしょう。でもそこには実体がない。
実体はおろか、自分がない。仕方なく学ぶもの、なら、それは必要なものか、問うべきです。

体で感知する。

その感情を味わう。

結局、トレーニングというのは、それだけのような気がします。
それのために、トレーニングがあるのです。
体を賢くさせる。自分で感じる。自分を肯定する。

その肯定度合いを高めていく。



あとはその人の感性が、さらに先へと突き進ませるのだと思います。
「こうなるのが、当たり前」「こうするのが、当たり前」という発想を捨て、
「こう感じた」と言える自分でいたいですね。




自転車(27インチ)を飛び越えた大人気ない43歳です。
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でも見て欲しかったのは、、、、案外、ジャンプの前後でもある最初と最後の歩く動きです。
「着く前に、、、着けている」かのようなそういう感じ。
「着いてから、蹴る」じゃなく、「着く前に着き、着いたときにはもう蹴れている事後処理」

でもジャンプ動作も、よく見たら、、、
「今!跳ぶ」ジャンプじゃないはずで、
「跳ぶ前から、それをやっています」

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スクワットの戻す動きとかもそうですが、

時間や重力のながれが、まるで「ベルトコンベアーのよう」に「上から下へ」ながれていて、
そのコンベアーに「タイミング」を合わすには、
自然と体はそうしませんか??そうなりませんか??

というふうな歩き方やしゃがみ方や跳び方や動き方になりますよ。

という話です。これは、スクワットではありませんけど。。。
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それぐらい、、、余計な動きをいかに省くかです。
もうその余計な身体操作は、ほんとうに余計ですので、要りません。
エスカレーターに乗るあの自然なタイミングです。