静は動なり 動は静なり(プレ編)
静は動なり 動は静なり(本編)

先の記事では感じ方を中心に謳ったのですが、
これも事務的になっては意味合いがずれてきます。
なので、「どういう気持ちで」という部分を今回は謳います。

重りに対峙する気持ちを中心に触れたいのですが、
これはあらゆることに通ずる気がしましたので、「ハートとメンタル」の話になります。
うちではトレーニングを「事務的」には考えてませんし、それが「正しいこと」とは限りません。

いいかえれば、、、「我慢でやるものではない」

まずはこちらの動画をご覧ください。いつもどおりに「簡単」「ラクラク」です。
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「我慢」してることに気づかない方々も多いと思います。
常識や固定観念が浸透してしまい、
「しなければいけないもの」「課さなければいけないもの」と疑わない人も多い。

でも、動画を見て、いかがでしたか???

でも、、、(でもが続いてしまいましたが:笑)

思考が常識化してる我慢の方なら、こう考えてしまうかもしれません。
「じゃあ、、、、どんな手法」「じゃあ、、、どんな技術・テクニック・フォーム・意識」
という「課すもの」「我慢するもの」を得ようとします。

このとき、、、私にはこういう印象を受けてしまいます。
「あなた自身が犠牲になってでも、食らいつきたいのでしょうか???」
「手段を問わず、何が何でも罵倒してでも手に入れたいのでしょうか???」
というふうな、、、「戦う気持ちいっぱいで」「攻撃的な」お気持ちです。

おそらくこういうときは、、、自分を感じられていません。
いばらを選び、闘う気持ちいっぱいで、私さえも怖い印象や恐れる気持ちを感じます。
でもさらにこう畳み掛けるのでしょう。「闘わずして、どうやって手に入れるんだ」

・・・
・・・
・・・

結論からいえば、そういう気持ちだから、吸収できない。会得が難しい。ということです。
でも今度は、両極端で中間の気持ちがなく、「じゃあ、、、ラクすればいいんだな!」と。
そう、、、判断基準が思考から湧き上がり、感情的で感情に振り回された状態。

・・・
・・・
・・・

でも安心してください。そういう人でも変われることができますし、
そこまで戦闘的じゃない豊かな人なら、もっと可能性があるということです。
魔法の言葉を紹介します。



重くって、、、いいんだよ



重いことを、我慢しようとしてきたから、
固めてバランスを取ったり、力に過剰に頼りすぎ、
ケガや実用面に活きない、などにさいなまれていたんじゃないでしょうか???

あるいは、我慢がいやだから、避けてきたんじゃないでしょうか???



私はときどき、、、バーベルなどの重りのことを、「重りさん」と記事で触れたことがあります。
「さん」付けしてます。すごい親近感でしょう???
でもこれは、結果論でそうなっただけで、そうしようとしたわけではないんです。

「重くって、、、いいんだよ」

これは、
そう素直に感じて、いいんだよ。
そう素直に認めて、いいんだよ。
というふうに訳せる、いわば、、、「自分を許してあげる魔法」なんです。

これまではもしかしたら、逆に、自分のことを許してあげられずに、
「もっともっと」「まだまだだ」「こんなことでへこたれてどうする」
と自分に厳しかったんじゃないでしょうか???

不思議なんですが、、、

自分のことを許してあげると、対峙する側も許せるようになっていくのです。
そんな自分が素直になっていく過程で、自分の愛し方がわかるようになっていき、
自分の良さにも気づけるようになっていきます。

これが、私が重りのことを、「重りさん」と呼んでしまう理由です。

・・・
・・・
・・・

重りさんは、たしかに過負荷です。
でも過負荷だからこそ、わたしたちに「感じること」を与えてくれます。
感じられたことで、自分の愛し方がわかっていきます。

それが、、、「自信」というものではないでしょうか???

自分を肯定してあげる。自分を信頼してあげる。
すると、重りさんや重力も「信じられる」ようになっていきます。
こういう心理が、、、私の動作の秘密です。

そして、、、その信頼度が、、、
筋力に頼らないリラックスとスムーズさとやわらかい安定などにつながっていきます。
その信頼度だけで、ほんとうに動けてしまうから、、、ますます「信頼癖」がついていきます。

そればかりか、、、そういう動作で動く鍛えるわけですから、
そういう体にコンディションになっていきます。動けてけがもしない。凝らない。
やればやるほどやわらかく、軽くなっていく。疲れも取れたり。

ますます「重りさ~ん!」って感じになっていきます。



・・・
・・・
・・・



以上、、、実感が大事、と何度も触れるのは、そういう意図から。
普段から、食事でも義務的に食べるよりも「自分のために、味わって食べる」など、
「自分のことを大事にしてあげる習慣」がとても大事だと思います。

時間に追われるよりも、「休みたいときは休む」「やる時間を決めて、その時間だけやる」
周りや評価に動かされるよりも、「自分がしたい、と思うことを、やれる範囲でやってみる」

私もこのような考えに至ったのも、仮に周囲から「変わってる」「難しい」といわれようが、
それで変わるようなものじゃないし、周囲と闘ってそうしてるんじゃなく、
「闘う以上に、それがあまりに気に入り、豊かで、理想だから」と確信してるからです。

そういう確信があるからこそ、、、こびてまで売り込みはしないのです。
だって、、、その人の領域であって、変わるのはあくまで「その人の意志」ですから。
尊重というか、意志を大事にしたいのです。そう思える自分になっていくものでもあります。




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先日と同じ動画。瞬発力養成だとされていますが、、、
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重りの扱い方だけに照準を縛りますが、、、
でもこれは、重りの扱い方だけではなく、あらゆること通ずるのではなかろうか???
と感じています。



いちばんのコツは、、、



敵を作らないこと



ようは、闘わない。争わない。戦いのリングから降りる。



でもこう申すと、たいていはこう考えるでしょう。
「じゃあ、、、嫌でも我慢するの???」
ばっさり切らせてもらいますが、我慢するぐらいだから、すでに敵だということです。

でもまた、こういう風にも考えるでしょう。
「じゃあ、、、我慢して友好的になるの???」
我慢するぐらいだから、本心は嫌がってるということです。

仲良しごっこは一番疲れるでしょう???
我慢ごっこでしょうから。。。



重りに関していえば、闘えば闘うほど、感じる重さが増します。
闘わないことが、いちばん軽いのです。
それが「関係性」といわれるもの。

敵が生まれ、支配被支配、勝敗が生まれる。
でもこれらは、両者がワンセットで生まれます。
でも、どうして闘ってしまうのでしょうか???



それは、、、自分を否定してるからです。自分への肯定が足りないからです。
言い換えれば、自分に厳しいのだと思います。
そして、自分を見る目線と同じ目線で、相手を見ます。

つまり、敵は他者だけではなく、自分にたいしてもそうなんです。



明ちゃん体操のふたつめ。闘ってないのにすいすいと。。。
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重くなっても、表情や動作が一緒。
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重りだって例外ではありません。動画を見ていかがでしたか???
自己否定が限りなくない心地よい感じがあると思います。
重りも敵にしないし、自分も敵にしないのです。

相手を闘う敵だと見なす。それ以前に、自分を敵にしている。
それは、自分を肯定できてないから、相手も肯定できないのです。
相手を信用できないと感じると同時に、自分へも信用できてない、ということ。

また、自分への信用が足りないから、
他人軸になって、被害者意識になるのかもしれません。
「お前がやった」「お前が邪魔した」「お前が攻撃した」

あるいは、うまくいくには、こんな生ぬるいのではいけないんだ、とか。
あるいは、ゆっくりじゃだめ、一気にできなければ、とか。
プロセスを喜ぶよりも、ゴールから見た自分を否定したり。。。

やられた側受けた側は、「闘う」か「逃げる」しか判断できません。
原始的な脳による判断です。でもこれがもっとも強烈なインパクトとして記憶に残る。
鍛えるってそういうことなのでは???と疑わないのも、そういう影響かもしれません。



では、、、自分への肯定を増やすには、どうすればいいでしょうか???



自分軸で感じること。自分を満たすこと。自分をいたわること。などじゃないでしょうか???



重りには、わかりやすく重力が働きます。
これを我慢して「重くない重くない・・・・」っていうのがすでに闘い。わかりますね。
我慢せず、「これが重さか~」「重いんだね」「そうだね」と感じること。受けること。いたわること。

これが「自分を肯定する第一歩」です。

そういう肯定癖が、未来を作ります。小さな「できた」が、次のできたへと加速させます。
自分にたいし友好的になり、重りにたいしても友好的になります。
やがてひとつの関係性ができあがり、
重りの重力によって動きがアシストされてしまう、という関係性へと発展します。

自立という意味です。
ようは、、、「闘わなくても、動けちゃう」という自己肯定です。
罪悪感なく、認めてしまえる感じ。許せてしまえる感じ。

闘うから、、、争いになり、争う手段ばかりが強化されます。争えば、傷跡も残ります。
原始脳の強烈な記憶になります。
でもほんとうに強いのは、そうやって感情的になったり、感情を消したりすることではなく、

感情を豊かに出す

ということ。「闘って勝つから嬉しい」「打ち勝てて重量が上がって嬉しい」というのではなく、
「闘わず叶ってしまう」
「頑張らず頑張れてしまう」
そういった嬉しさ楽しさ心地よさ快適さ不思議さ。これこそ重要ではないでしょうか???



(他者や自分と)闘う時点で、自分の価値を下げています。
自分の価値をもっと高く設定し、感じることに長けていけば、
頑張り方も変化していき、友好的で、かつ自分に一生懸命になれる。ベストが尽くせる。

そう、、、自分に一生懸命であること(自分への肯定)が、友好的につながるのです。
自分を我慢した仲良しごっことは、天と地ほどの差です。



本当の体の使い方とは、、、
本当のトレーニングとは、、、



争いや我慢に備えたものではなく、



争いや我慢というリングから降りるためにある。



そこに一切の罪悪感を持たないこと。
できてしまって、、、いいのです!!





幸運体質の作り方



思うんです。。。

体と心は、、、つながっている。
心のリラックスは、体のリラックスであり、
体のリラックスは、心のリラックスでもある、と。

力んでいると、
余計ながんばりを強いてしまいます。
余計ないばらを作ってしまいます。

先のリンクでは、、、
「力みの原因」と「うまくいかない原因」とが一致するかも???と述べた。
それで、その力みを取る気持ちの面からのアプローチを述べた。

動画をご覧ください。

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リラックスが、、、動きの良さ(難なく挙がってくれたこと)を実現します。
その動きが、、、良いコンディションを作ってくれます。
リラックスが、、、動きとコンディションを「実現」させます。

リラックスは、、、、実現させるのです。。。

ですので、、、動きができているのなら、、、気持ちも、その動きのようにしてみます。
しかもその動きは、いばらでこしらえた思考や力み満載の動きではなく、
リラックスによって単純化できた成功例や模範例。

うちのお客様でも、、、多くがこのように単純化して心までリラックスするから、、、
思考癖を取っていくから、、、うまくいくのです。そういう人がうまくいくのです。
表情も豊かになり、ほぐれていき、温かくなっていきます。

できたものを穿り返したりせず、リラックスして安心しきったときに、、、ギフトが得られます。
体のリラックスは、心のリラックスです。
でもその心が力んでしまえば、、、体もリラックスが台無しになります。

表情も良くなるし、気分も良くなれば、、、
学習意欲も増します。学習習得がうまくなります。
みためにも好印象になります。
気張らない、自然なポジティブになっていきます。

体のリラックス。心のリラックス。ようは、リラックスは、いろんなものを実現させてくれます。


・・・
・・・
・・・



さあ、、、この幸運体質を、、、どのように活かしましょうか???




私が動けば、、、運動の価値観や先入観まで変わってしまうのです。

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最近、こういうことに気づくようになりました。
「力みの原因」と「うまくいかない原因」とが、「一致する」と。
「力みの原因」は、私のなかでは「ふたつ」だと感じており、、、

ひとつめは、、、思い込み。

もうひとつは、、、他者目線。

その思い込みの中に、他者目線も含まれることもあります。

思い込みとは、過去の経験も含め、自分で自分を縛ってること。
他者目線とは、世間体。常識。通念。それらに支配されることも含めた思い込みのほか、
「相手に勝たなければ、、、」逆に「相手に負けるのでは、、、」



お客様が運動効果に手応えを感じ始めるとき、、、

それは、、、

「自分の感覚で」体得できたときです。
「自分の感覚」で、「これでいいんだ」と感じられたときです。
「自分で自分を否定しなくなったとき」です。

それぐらい、、、力みはしつこいのです。
でも、、、ほんとうは、、、うまくいく人は、、、
無意識でのネガティブ願望が少なく、意識でこうしたい、と思うとおりの無意識になっている。

力が抜ければ、、、解放される。嬉しい。
でも無意識では、、、「他者目線」が襲い、「思い込み」がブレーキをかけます。
これでいいんだろうか???限られた人しかできないのでは???うまくいっていいのだろうか???
でもこのとき、、、「自分主体で」感じられていません。

だから、、、運動で、、、「自分主体“を”」「感じて」いく。「自分主体“で”」「感じて」いく。
そして、、、「できた範囲」の「幸運」を「信じていく」
その「幸運」を「当たり前」にしていく。

だから、、、継続が大事。

私でも、世間と違ったことをしてますが、でもやっぱりぶれないのは、、、
自分を信じてますし、それでうまく行ってるから。何より、自分で感じられたから。
うまく行かないときは、、、私でも、、、力が入っています。
ものごとを思考して、シンプルなものに添加しようとしたとき、力が入ってるものなんです。



でも、思い込みや他者目線は、急に抜けるわけじゃないし、無自覚に侵されてるものだから。
また、仮にできたとしても、、、また疑いが生じて、、、力んでしまう。頑張ってしまう。。。

ついついライバルを他に向けたり、自分に向けたりします。
戦うことが生きがいみたいになってしまう。勝つか負けるか。
では、自分で感じる。自分を感じる。じゃあそれには何が必要でしょうか???

重りを持っても、力んでしまう人。戦ってねじ伏せようとする人。依存してラクをする人。
素直じゃない人が無心になれるのは難しい。とくにトレーニングでは戦うことが目的になりがち。
無心になること。それが私の究極です。リラックスして感じられれば、普通はうまくいくのです。
でもまた疑いが出る。あるいは、学び始めは疑いが出ることもあるでしょう。

これは、、、解決できないのでしょうか???
やりこむしかないのでしょうか???





それには、、、過去の自分と今の自分を認め、感じ、許し、愛することが有効です。

力みは、結局、、、自分を否定してるから、起こるのだと思います。
リラックスしてるとき、、、自分を肯定できていませんか???
だから、、、自分を肯定してあげること。それは、プラスの自分もマイナスの自分も。

他人をライバルにしてては、自分を癒してあげられていませんし、
自分をライバルにしてては、我慢を強いてしまいます。
それは結局、、、自分を否定してることが始まり。このバランスを変えることです。
シーソーがほんの少し反対向き(ポジティブ側)に傾けばいいのです。

だって、かつては、力むことでしかできなかったし、それが最善の方法だったんでしょう???
かつてのできる限りのことを頑張ったんです。よくやったね。。。認めてあげてみては。
数値分には結果が出たが、それ以上にはならず、ケガもした。どうでしたか???
悔しかった。。。つらかった。。。傷ついた。。。我慢せずに、認めてあげれば。。。

それでも今まで、なんとかやってこれたわけでしょう。。。もう運動ができないのではなく。。。
つまり、そこまでひどかったにもかかわらず、よくここまで頑張ってこれたわけなんです。
しかも、今でも、、、頑張っている。このことも認め、愛してあげ、肯定してあげれば・・・・・。

・・・・・・

自分を肯定できず、否定するのは、自分に対するもっとひどい仕打ちかもしれないんです。
自分にやさしくしてやれなかったことで、、、今も引きずってしまうのではないでしょうか。
今なら、自分にやさしくできる。ほんとうによくやってきたよ。そして悔しかったな。。。
でもそれでもやってこれたなあ。。。そして今も頑張っている。あるいは変わろうとまでしてる。

ようは、、、どんな自分であっても、その自分を否定しないこと。愛してあげること。

・・・・・・



でもこうして「私の動き」ができたようなものです。
お客様も、こうして自分を否定しなくなったことで、劇的に変われたのです。
いえ、、、変われたときは、、、そういうものなんです。

そして、できる範囲から、1%のその手応えから大事にしていくこと。そして、それを肯定すること。
いえ、、、過去も今もマイナスを肯定できた今なら、、、自分を肯定しやすくなります。
つまり、、、リラックスしやすくなります。

「あの頃が何だったんだ」と振り返るときは、その頃をいとおしく包んであげて欲しいです。
ついつい力んでしまったときは、、、うまく行かなかったときは、、、それこそ肯定しよう。
そういう過去を包み込み、肯定してあげ、今ここまで良くなったことを肯定してあげればいい。
私の指導が基本、「褒める指導」というのも、、、納得でしょう。。。

(デッドリフトよりも、クリーンのほうが、、、それが感じられやすく、私は気に入っています)
そういう動きだから、、、そういう機能性になり、、、そういう体質になる。
つまり、、、機能的でストレスフリーな体質。動ける体質。健やかな体質。
それが“自然と”実現します。

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自然と、、、実現します!!




実現するときは、、、自然と!!なんです!!




本編はこちらです。
先にこちらから読んでください。



さっき、この編に加筆しようと思いましたが、やめて、新しい記事にします。
では続けます。



「動く」「運動する」というただの発散で終わるのではなく、
奇跡の実感を自分で感じるのです。つまり、、、根本入力が変わる感じです。
「他者ベクトル」から、「自分ベクトル」へ変わるわけですから。

重さを実感し、その実感が動作を実現させ、マジックやハッピーを実感します。
自分ベクトルになったとき、他者ネガティブも、もしかしたら自分次第とか、
案外シンプルになってきたりするかもしれません。

ネガティブなものはほんとうに気分を害するけど、
それに囚われている自分もネガティブになってるって、
案外、、、感じてないんですね(笑)そういうこともわかるんです。。。自分談。

たとえば、、、
家庭で依存されてる人が、会社では上司に依存しまくってる、みたいな
どこか「鏡の法則」のような。

やはり、、、こういう運動を生んだ私こそそうですが、
それをやって「自己実現」できたことで、自分の価値が上がると思うんです。
「頑張らなくても、、、できるんだ」「はじめから、価値があったんだ」

私には、価値があるんだ!!豊かや幸せになる価値があるんだ!!

いちばん求めてるのは、そこだと思いますし、
それを取り戻すために生きてる。
価値を大いに感じ、活かすために生きてる。そう思うのです。

「好かれるよりも、こちらから好きになる」「愛されるよりも、こちらから愛する」
後者のほうがよっぽど豊かですし、
前者だと相手次第でがらりと変わるぐらい、ぶれています。

自分の価値を感じられるそういう目線になれば、、、
自分を見るとき、他者を見るときも、何かが変わるかもしれないな。。。

自分にもっと、、、やさしくできるかもしれないな。。。自分と戦わなくも済むというか。
また、他人へも肯定的な声がけになってたり、
でも同時にそれは、「自分の価値」を引き上げてたり。

自分に肯定的になれた目線で、自分に対するのと同じ目線で、相手を見ますから。

かっこつけはネガティブ。そう先日申したように、謙遜もそうです。
自惚れとは違い、自分の価値を素直に認めることも大事だと思うんです。
「私もそこが自分の良いところだと思ってたんですよ」
(褒め言葉にたいし「いえいえ、、、」ではなく)「ありがとうございます」みたいに。。。

こうして自分の価値が上がってくる。長所をもっと認めたくなってくる。

心理の法則では、「そこに注目すれば、それは加速する」
つまり、欠点を直そうとそこに注目すれば、かえってその欠点が加速する。
長所を認め、長所を楽しめるようにしたいね。。。

また、欠点は長所の裏返し。
無口で非社交的なら、自分に集中することに長けている。
大人や常識になじめないなら、それだけの天才肌ってことも???
もし論理性に欠けるなら、それだけの芸術派ってことだよ。。。(私のこと)

(でもその芸術性を信じきることで、論理性という一本の軸になるものだと思います)




たかが運動。たかがトレーニング。
でも「実感」という「自己実現」は、そこまでの可能性を、大いに秘めている。
そう感じてなりません。




私でも、、、みなさんでも、、、常にポジティブであることは、困難だと思うんです。
こういうときに、、、ポジティブにしてくれたり、癒しになってくれたりする。
そういうワーク。そういうレッスン。

「力を、、、入れない!!」
「踏ん張らない!!」
なのに、、、なぜか、、、軽く挙がってしまい、、、
終わったあと、、、鍛えたあとなのに、、、ものすごーく軽くなっているんです!!

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世間という他者からのベクトルになった思考に陥り、ネガティブの堂々巡り。私でもあります。
でも、、、そういうときに、、、こういう運動が、、、ひとつの手助けにもなってくれます。
やさしい運動。脱力の運動。感じる運動。動きや軽さが実現してしまう運動。

心の状態は、体や動き(かたち)に表れ勝ち。
基本的にネガティブなものを感じれば、気分を害し、心も体もどこか硬くなります。
その硬さを、体から取ってしまう。ポジティブ実感することで、気持ちも軽くさせる。

つまり、その(かたち)ひとつで、気持ちもがらりと変わる。
感覚って大事。。。感じることって、大事。。。
その体の状態なら、心だって「認める」ができやすく、「心の軽さ」にもつながりやすい気がする。

その「運動」は、「我慢」で「力んで」やるのではなく、
こういった自己実現は、、、人の心を豊かにしてくれます。
考える前に、、、実感が、大事です。

体も心も、、、ポジティブに。。。
嬉しさや喜びいっぱいに。。。
癒しやほのぼの感であふれるように。。。

「やる最中が、、、心地よく」
「終わったあとなのに、、、前より疲れが取れている」
と、私だけじゃなく、お客様の声からも。。。




他の記事を見ての通り、、、
私の考え方をご覧の通り、、、
間違いなく、、、私は、、、ポジティブだと思います。

ポジティブといえば誤解されがちなのが、、、
「いつもしゃきしゃき!溌剌と!」「ハイッ!」
みたいな、、、そういうのにあこがれますか???見ていて窒息しそうな無理があるし。

何というか、私の場合は、、、

「頑張って元気になる」のではなく、「頑張らずにすでに元気」という感じです。
「頑張って挙げる」のではなく、「頑張らずにすでに挙がっていく」という感じです。
「頑張って追い求める」のではなく、頑張らずに自然と・・・・」という感じです。

いわば、、、、究極の自己実現。

なのに、、、硬さがない。

頑張ってしまうのは、ネガティブだからだと思います。
しかもそのネガティブを認めず、ごまかして我慢しているように思います。
だから見ていて、窒息しそうになるのではないでしょうか???

ネガティブならそれを認めることで、、、、許すことで、、、愛することで、、、
ラクになります。リラックスできます。感じられるようになります。
この土台こそ、、、ポジティブへの入り口です。

我慢してまでやる、のなら、やらない。このほうがポジティブです。
でも、、、楽しいものなら、、、やってみたくなる。それがポジティブです。
「我慢しなくても、、、やれるはずだ!!」・・・・・・これが私の考え方です。

力を入れない。何かをしない。
感じただけで、、、動けていく。
やる最中も軽く、、、終わったあとは、すごく軽くなる!!
自然体なら、動きが叶う。コンディションまで叶っていく。余計なもの(予備知識)を消していけ。

何よりこういうのは、、、「実感」が大事です。
実感できない元気じゃなく、カタチじゃなく、実感です。
繰り返しますが、、、
我慢を強かなければできないのではなく、我慢は要らない。それで実現する。

そして、用心深く思考でネガティブに迷走する前に、
実感という行動です。
溌剌さは、、、そうやって生まれます。子供のように無邪気にさせてくれます。



ほんとうのポジティブは、、、、



強さを押し付けたり、知識で押さえつけたりすることではなく、



愛をもって、自然体で、希望と奇跡に溢れ、ハッピーでいることです。




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人のためじゃなく、自分のため。
人のことより、自分のこと。
他者目線じゃなく、自分目線。

これは、(以前から掲げていたけど)改めて今年掲げた私のテーマ。

前者(善者)が悪いというわけではありません。
ただ私には、それが自分を苦しめると感じてます。実際に苦しめられたこともあります。
自分でいいじゃないか、とそう思う反面、やはりその前者(善者)が顔を出すときもあります。
そういう人に巡り合ったとき、自分もそうなっていたんじゃないか、と振り返ることもあります。
自分が弱くなって、疲れていくのです。どこか硬くなってしまうのです。




ここで、私が感じた格言を申します。










かっこつけを、やめる!!










これだけで、、、他者目線というプレッシャーから解放され、心が軽くなる気がします。
過剰な責任からも解放され、責任の範囲も自分で決められ、それに集中できます。
「好かれてるかどうか」から解放され、本来の自分で良く、それを発揮しやすくなる気がします。

ようは、、、、自分が持てる気がする。自分目線になれる。自分を大事にできる。
どこにも変えがたいポジティブな自分、ほんとうの自分が目覚める気がする。
(トレーニングも含め)行動も変わり、そう過ごせば、何かが変わってくる気がしている。





以上。。。





【おまけ・1】

「かっこつけじゃなくなる」
「じゃあ、控えめ???」
・・・いや、違う違う!!

これって、、、逆に、、、かっこつけっていうんだと思うよ。。。
したたかで計算高く腹黒くってさ。。。めちゃ、相手目線じゃん???
まさに「好かれてるかどうか」で疲れるし。。。自分を大事にできてない気もしますし。。。



【おまけ・2】

あと、、、ここでいうかっこつけの範囲はすごく大きな枠組みです。たとえば、
父親らしく、母親らしく、男だから、女だから、何十代だから、ベテランだから、など、
社会の通説なども含んでいます。





以上。。。






参考記事(動作以外のことについて)



頑張れど頑張れど、、、、となるのか、
さほど頑張ってないけど、、、やった!どんどん変わっていく!!となるのか、

うちは俄然後者なのですが、
上の参考記事でも示したように、頑張らない趣向です。
でも、それが、成功の秘訣です。

振り返れば、、、

私は、、、

指導者として、、、

扱う重量にしかり、
回数にしかり、
種目数にしかり、

あるべき姿で「毅然と」「こう」していました。

・・・・・

・・・・・

・・・・・



これ以上は、しない!!



・・・


多くが、それ以上のことをやり、やってもやっても満たされない症候群に陥る。
うちは、、、「そこまで」と「達観」させています。
毎回毎回、「達観」しています。



これ以上は、しない



散策や追求も、深みに嵌れば、趣向や主旨がぶれてしまいます。
強化そのものが目的にもなってしまいます。
でも、、、指導の専門として、プロとして、



これ以上は、しない



というのは、基本中の基本だと思います。



毅然と、それを決めてしまう。
それ以下にはなるが、以上にはしない!!



しない!!



この決断力で、自分は、うまくいきました。
この英断を「信じてくださった方」が、成功しています。



これ以上は、、、、しない!!



これが、本番力の強化にもなるし、
毅然とした心を刻みますし、
今にそれだけ集中できます。



これ以上は、、、、しない!!





ちょっと軽い重りで、ラクをしました。私の主観では、こういうことを語っています。
「下げたほうが、、、挙がるよ」「力を入れないほうが、、、挙がるよ」
重りが下がりながらのほうが挙がってしまう「自己信頼」を「実感」しています。

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考えることと感じること。
今なのか、過去なのか、未来なのか。
単純論で片付けますが、、、

実感してるのは、、、「今」しかできません。
「過ぎ去った過去」は感じれませんし、「まだ来ぬ未来」を感じれないはずです。
それは「思考」しているわけであって、その「思考」を「今、感じている」だけのこと。

それだけ、今にフォーカスして「実感」を味わうということは、
そのときは、「過去」へも「未来」へも行かず、今にフォーカスできています。
でも思考すれば、過去や未来へ行きます。
そうやって、まだ来ない不安を今感じたり、過去のトラウマを引きずってしまったりします。

心理でも、感じることとその重要性は謳っています。
最終的には、体へ訴えかけるようなレッスンも紹介されていたりします。
でも、、、これと、、、私が行うウエイトトレーニングの、どこが違うのか???

と感じたのです。

うちでも、できない人は、過去や未来に思考が飛び散っています。
でもできたときは、、、今にフォーカスできていて。。。
うちでは、、、先ほども触れたように、、、、

「力で解決しなくても、いい」
「重さを受け、力を入れず、重りが下がることを受け容れる」
「でも、なぜだか、下がることを受け入れたほうが、下がりながら挙がってしまう」

それだけ、、、ものすごい達観というか、、、
でもこれは、、、「実感」しないと、わかりません。
今、このことを、実感しないと。。。

でも、、、思考は必ず、襲い掛かります。
「こんなに簡単で、、、いいの???」
「追い込んだ実感がないのに、、、いいの???」

そのときは、、、今、せっかく実感したことが、、、パーになっています。
でも、、、大事なのは、、、それも「認めること」
「そうかそうか、、、そういう気分なんだね。ムリもないよ」と受け容れる。

この瞬間、、、、「今」に「フォーカス」してしまうのです。

そうやってまた、次回のトレー二ングで「実感」するのです。
それの繰り返しです。
ただ、、、無理をして納得させようとする。これが一番よくありません。
頭で無理やり整理して、納得させようと。。。これが一番心身に良くない。

わかりやすくいいますが、、、

温泉に行けば、、、掲示板に「効能」が書かれてありますね。。。
その効能を先に読んでしまうと、、、実感が薄れます。
どっぷり浸かって、気持ちよさを実感することが先です。
でなければ、、、先入観で感じてしまうことになります。「今」に「フォーカス」できていません。

悩みの多くは、、、過去や未来から来る思考から襲ってくる、というのが、私の経験則です。
でも、襲ってきたときは、、、認めてあげる。「そうなってしまうのも、無理もないよ」
でもその瞬間、、、今にタイムスリップします。

「でも」
「いっつも」
「すべて」

このみっつの言葉は、、、魔法があると思います。でも良い魔法ではないと思います。
悩みも、、、「いっつも」じゃないはずですし、
不快なものも、、、「すべて」ではないはずです。
この感じになれば、、、今にフォーカスしやすいです。

「でも」は、思考からやってきます。「過去」や「未来」から襲ってきます。
あるいは「他人目線」「常識目線」からも。
「でも」を「じゃあ」「まず」に変えてみると、「今」に「フォーカス」しています。

重りを扱うのも、結局、、、温泉の効能の話と一緒のこと。
効能を知る前に、感じよう。味わおう。先入観を捨てて。
重さを受ければ、、、重りは下がるもの。
でも、、、下がるもの、を受け入れたその達観が、挙げてくれます。

頑張って挙げてしまうその心には、「ねばならない」という義務的思考。
先に温泉の効能を知ってしまって、頑張ってしまった例だと思います。
今を感じていない。だから、思考で頑張ってしまう。それが当たり前になる。
力んでる人は、、、自分が力んでることに気づかないものなんです。
だからこそ、、、今にフォーカスする、というのは、ひとつの魔法かもしれません。

「落ちながら、、、動ける」

闘わないのに、勝ててしまっている。その不思議な達観。それの繰り返しです。
その達観のために、私のウエイトトレー二ングがあります。
「こんなんで、、、いいのです」
「だから、、、恐ろしくやわらかくもなり、体も変わってくる」のです。

今、フォーカスしたその実感。
ファンタジーで、これでいいの???と思えた感じ。
それを笑うぐらいでいい。



無邪気な子供の心。。。



大人は、、、大切なものを、、、失いかけています。



でも、、、なくしてはいません。。。



忘れてただけです。。。



忘れたのなら、、、思い出したときから、また始めれば良い。



そもそも、、、「どのぐらいで自分が変わりますか???」というのが「思考」です。
「未来」から来た思考。過去の不安から来た思考です。
ところで、、、夢のある創作活動に、「ゴール」はあるでしょうか???
どこまでやったら「完成」、、、あるでしょうか???

私でさえも、、、もっともっと成長できると思っているし、若くいたいと思っています。
結果というのは、、、「忘れたころに、自然と訪れます」
いいえ、、、むしろあるていどの結果は、「どのぐらいで変わるか」を「考えなくなったとき」。

つまり、、、毎回毎回の「今」「フォーカス」してる「今」こそ、変われているのです。
そして、、、小さな「できた」を大きな「できた」と達観すること。
その繰り返しだと思います。

山登りでいうならば、頂上から見た自分、だと、これだけ頑張ったのに「まだまだか~」
頑張っても頑張っても、、、「まだまだだ」
でも、中腹で立ち止まり景色を見たとき、「あ、こんなにも登ったんだ(やったぁ!)」
その「今の達観」を「実感すること」。これに勝る薬もないと思えます。



もっとも、トレーニング時間だけがトレーニングではありません。
今を実感し、達観できることは、他にもいっぱいあるはずです。
それを、楽しむのです。

たとえば、、、「食事」や「カフェ」
たとえば、、、「会話」
たとえば、、、

そういうことも、必ず手助けになるはずです。
そして、過去や未来からの思考が襲い掛かり、とめようがなく堂々巡りになったとき、
浜田省吾 DANCE
こちらの歌がお薦めです。



あなたの成長が、どこまで行くのか、、、、



私は楽しみで仕方ないのです。



(追伸)ブログからパーソナルトレーニングの申し込みも可能になりました。
カテゴリー秘密の部屋より
料金も、新設定しています。継続頻度の高い方を優遇しています。
ようは、、、コンスタントに続けて欲しいのです。うまくいって欲しいから。