昨日のしくじり先生、途中からでしたが、私も見ました。
ソニンさん、感動しました。泣けたし、勇気ももらえました。
指示待ち人間だった彼女が、それを克服し、自分の意志を大事にでき、自分を取り戻せた話。

彼女が自分を取り戻せ、誰の指示も仰がない自分の意志で決めたここが自分の居場所だ、と。
その世界(業界)ですごい賞をもらったそのインタビューでマイノリティーって言葉が出たので、
どういう意味か調べてみたら、

「(多数派に対する)少数派」

自分も負けそうになってつい「アウトロー」な気分になるときもある。
でも彼女、そのすごい賞をもらったときのそのインタビューで言ってました。

「マイノリティーの方もたくさんいらっしゃると思いますが、
頑張っていればこうやって認めていただける日もあるんだなということを
私を通じて感じていただければと思います」

自分がこうだと信じた努力は、必ずつながるんだ。
こうだと信じて頑張ってきたことは、必ず芽が出るんだ。
彼女もたしか「意志を持って、信じてやってきたことは、必ず誰かが見てくれてるんだ」みたいに。

彼女の純粋な言葉に勇気をもらいました。
自分の意志を、やはりこれからも大事にしよう。
そういう姿勢は、誰かにも届き、その人へもつながることかもしれないし。

俺は、、、俺でいいんだ。
やりたくてやってるそのやり方やこの仕事で、いいんだ。



スポンサーサイト
たとえばお客様からの言葉。「今日は調子がいまひとつで、前回は良かったのに」
以前の私なら、「そんなことはない」とその言葉を認めず、(お客様のことを)否定して、励ましていたような気がします。今なら、「そうなんですね」みたいに認めてあげられます。だから、頑張れ、なんて言いませんし、また良くなるよ、とも言いません。「そうなんですか」「そう感じるんですね」。そうすることで、「どこが良くないのか」納得いかないのか」が「具現性」を持つのです。これはとても大事で、そうやって『自分を感じる』ことが、解決法になります。認めずに感じられずに『漠然としたマクロ』は、認めて感じることで『バラバラに細分化させて具現化すること』にしてあげるのです。ですのでその上で「ここをちょっと見つめましょうか???」みたいなことはします。そうやってあくまで「今を感じていただくように」します。

「でも・・・・」と反論するのは、初めから相手を拒んでいるのだと思います。
それが前向きな方向であっても、そうだと思います。

そして、仮にうまくできなかった場合でも、「言い訳」や「身勝手な自己分析での弁解」をする場合は、うまくいってないことを認めてないんです。だから、うまくいくことはないでしょう。それより素直に「今日はうまくいかなかったな」と「認める」ほうが、すばらしいのです。すばらしい声だからこそ、私は「認めてあげる」のです。少なくとも、認められたとき、心が自分に向かっています。自分の感じ方ができています。でも言い訳するなど認めないときは、相手を見ていたり、思考で裁いていたりしてて、自分の感じ方ではありません。

うまくいかなかった。言い訳しない。認める。感じられる。
すると、向上心が湧き出ます。建設的に行動もできます。
感情をすぐに処理できますし、健全です。すがすがしい、とも言います。

言い訳ばかりすると、悲観的破壊的否定的な思考や行動になりかねません。
その言い訳が強がりになり、我慢になり、それが残るのです。
ますます自分の感じ方が鈍り、そのうち「わからない!」と人まで責めかねません。



まずは、認めてみる。
認めたら最後、、、じゃありません。
「認める=支配される」となってしまうのが、そういう思考でしょうから。
そういう思考に走るから、誤ったポジティブシンキングみたいになってしまうのかもしれません。

認めれば、逆に誰からも支配されないし、支配もしないのです。
認めることは、自分を愛することじゃないでしょうか???
自分を愛し足りないことが原因で、うまくいかなくなるのでしょうから。。。




2017.02.27 自由意志観
ここ数日、自由という言葉の意味についてを真剣に考えていました。これまでたとえば「固めるトレーニングをする人を、批判まではいかなくとも良い気がしなかったり」など、自分で自分を傷つけていたのも、そういう人にたいして自由を認めてなかったから。自分の人生を変えることはできても、人の人生まで変えることはできません。逆に、人から生き方を変えるように言われても、自分で決める自由があります。

人の自由を認められなかった背景には、自分の自由を認めきれていなかったことがある。そう気づいたんです。以前は雑誌に執筆してた勢いあったころは、動作の提唱者みたいだったけど、少し前、あるスタッフがある会員に私のことを紹介するのに「彼は動作の専門家です」と紹介したもらったとき、こういわれたのも10年以上も久しかったせいか、自分がすごくびくついてしまっていて。。。振り返れば「そこだな、、、」と思ったんです。自分を肯定してあげられてなかったんだ。。。と。

だから、堂々と「落ちる、という動作法の提唱者」として生きていこう、と。

振り返れば、他者承認に頼りすぎたいたのでしょう。自称の提唱者じゃだめだと自分を罰す。
それより、わかりやすさという人当たりを求め、自分を押し殺した、他人を中心としたような。
気づいたら、そうなっていたのかもしれません。実際にあのとき、びくついてしまったのですから。

だからまずは、自分もことをかばってあげる、認めてあげる、自由を与えてあげる、という意味で、
「私はこうします」
「すでにこう、決めています」
という、提唱者としても明確な意志を打ち出す。

「私ができるのは、ここまでです」
「私はこう決めています」
と「できること」や「やること」を明確にしてみる。
こうすることで、同意したか否かの不明確なやり取りから解放され、クリアになる。

「私は、こう考えています」
「私は、こうします」
という自由をはっきり打ち出したことで、私自身もすがすがしくなり、
あとは相手の自由であって、その責任もついてくる、ということです。



人を育てることが指導者仕事かもしれないが、その前にコーチでもあります。
実際は、こちらが育てるではなく、こちらが頑張るわけではない。
これだと、逆に人が育たない。それこそ他者承認という依存や無責任になる。

あくまで重りという具材を与え、実感をする「きっかけ」を与えること。
あとは自由に実感していいですよ。ということ。
でも、自然になれば、素敵な感じ方をしますよ。ということ。その結果が、落ちるなのですから。。。

自分が提唱者を封じてしまうのと一緒で、つまりこちらが他者承認になってしまうことで、相手も逆にミスミス他者承認にしかねない。人を育てなければいけない、という思考が、誤った伝わり方を生み、自分を支配的にし、相手を支配下にしてしまう誤解がある。初めからそういうものだと思い込んでしまう、あるいは過程でそう思いこんでしまったら、大変です。意志を持たない依存になる。ようは、自分はどうなってもいいから、育てて欲しい、という無責任。そういう立ち位置から出てくる質問は、ワンマンな丸投げ質問です。それは、自分を感じれていないスタートになります。実感もできないでしょう。うわべは「変わりたい」でも本心では「やりたくない」のですから。

そうではなく、「結果的に人を育てる意味でも」、自分が自己承認になることで、相手に自由を与え、相手が自然を実感していただき、相手が意志を持つ。私が育てるんじゃない。あくまで伝えるだけ。変わるのは、あなただよ、と。あなた次第だよ、と。こうすることで、お互い心地良い責任感が芽生えます。信頼ともいうのでしょうか。。。これは以前も申してきたが、ジム内の中でも私といるその場所だけは、「実感を楽しむ空間」なんです。「楽しむ空間」なんです。自立を育み、自由と意志と責任が心地よく。その結果で生まれる「落ちる」ですからね。。。

「私はこう感じています」
「私はすでに、決めています」
「私にできるのは、ここまでです」



他人が基準ではなく、自分が意志を持って。
誰かの賛同で行動するのではなく、自分の賛同で行動する。
そういう「ウエイト動作」で、そういう「落ちる動作」じゃないか???

相手のことで否定的になるとき、
自分が疎かで自分を大事にできてないことが、わかるようになってきたんです。
自分で自由を奪っているんだ、って気づくようにもなってきたんです。

以前はそうやって相手に不快感を感じていたが、私が自分の自由を奪ってしまい、責任を過剰にかかえていたから。だから積極的に、、、自分のことで肯定し、肯定的に行動しよう、って。結果、、、相手も尊重できたりするわけですから。。。人に認められないことが前提ですが、他者承認ではなく自分承認に頼りたいし、そういう姿勢を伝えていけるようにしたいし、そういう動作法や強化法でもありたい。

自分に自由を。これが最初にありきだと、今では実感しています。




私も人を指導する立場上、伝えるということに取り組んではいます。ヒントを与え、きっかけを与えます。そのために、さまざまな情報をお伝えすることもあります。ただ、頑張るのはあくまでお客さまです。私が頑張るわけではないんです。私は、お客様を信じて、託す以外にできないのです。だから、結果が出たり、その変化に喜んでいただけたときは、純粋に嬉しいものなんです。

主役はトレーナーじゃありませんからね。

だから思うのです。
少し変わったかもしれない意見や感じ方を述べますが、
「勉強になりました」という声をお客様からいただくこともあるのですが、






「勉強になった」というだけでは、
何も始まってませんよ。







私は、トレーニングを通じて、自分を肯定することを伝えています。そういう動作論や動作観でしょう???そう思いませんか???読者さん。。。運動やトレー二ングに限ったことではなくさまざまなことにおいて、自分のことなどをすっきりさせたい、自分を大事にしてあげたい、など、ようは自分のことを肯定し、自分のことで肯定的に行動できたとき、って、、、たとえそれが小さなこと(行動)であっても、すごくすがすがしいんですよ。。そういう行動を継続していくプロセスは、自分の未来も変えてくれると思います。新しい自分に出会えた嬉しさというか。

だから、思うんです。
そうやって肯定的に行動していくプロセスによって、、、
はじめて、、、培われるんですね。

[広告 ] VPS




勉強(?)になりましたか???(笑)




静は動なり 動は静なり(プレ編)
静は動なり 動は静なり(本編)

先の記事では感じ方を中心に謳ったのですが、
これも事務的になっては意味合いがずれてきます。
なので、「どういう気持ちで」という部分を今回は謳います。

重りに対峙する気持ちを中心に触れたいのですが、
これはあらゆることに通ずる気がしましたので、「ハートとメンタル」の話になります。
うちではトレーニングを「事務的」には考えてませんし、それが「正しいこと」とは限りません。

いいかえれば、、、「我慢でやるものではない」

まずはこちらの動画をご覧ください。いつもどおりに「簡単」「ラクラク」です。
[広告 ] VPS




「我慢」してることに気づかない方々も多いと思います。
常識や固定観念が浸透してしまい、
「しなければいけないもの」「課さなければいけないもの」と疑わない人も多い。

でも、動画を見て、いかがでしたか???

でも、、、(でもが続いてしまいましたが:笑)

思考が常識化してる我慢の方なら、こう考えてしまうかもしれません。
「じゃあ、、、、どんな手法」「じゃあ、、、どんな技術・テクニック・フォーム・意識」
という「課すもの」「我慢するもの」を得ようとします。

このとき、、、私にはこういう印象を受けてしまいます。
「あなた自身が犠牲になってでも、食らいつきたいのでしょうか???」
「手段を問わず、何が何でも罵倒してでも手に入れたいのでしょうか???」
というふうな、、、「戦う気持ちいっぱいで」「攻撃的な」お気持ちです。

おそらくこういうときは、、、自分を感じられていません。
いばらを選び、闘う気持ちいっぱいで、私さえも怖い印象や恐れる気持ちを感じます。
でもさらにこう畳み掛けるのでしょう。「闘わずして、どうやって手に入れるんだ」

・・・
・・・
・・・

結論からいえば、そういう気持ちだから、吸収できない。会得が難しい。ということです。
でも今度は、両極端で中間の気持ちがなく、「じゃあ、、、ラクすればいいんだな!」と。
そう、、、判断基準が思考から湧き上がり、感情的で感情に振り回された状態。

・・・
・・・
・・・

でも安心してください。そういう人でも変われることができますし、
そこまで戦闘的じゃない豊かな人なら、もっと可能性があるということです。
魔法の言葉を紹介します。



重くって、、、いいんだよ



重いことを、我慢しようとしてきたから、
固めてバランスを取ったり、力に過剰に頼りすぎ、
ケガや実用面に活きない、などにさいなまれていたんじゃないでしょうか???

あるいは、我慢がいやだから、避けてきたんじゃないでしょうか???



私はときどき、、、バーベルなどの重りのことを、「重りさん」と記事で触れたことがあります。
「さん」付けしてます。すごい親近感でしょう???
でもこれは、結果論でそうなっただけで、そうしようとしたわけではないんです。

「重くって、、、いいんだよ」

これは、
そう素直に感じて、いいんだよ。
そう素直に認めて、いいんだよ。
というふうに訳せる、いわば、、、「自分を許してあげる魔法」なんです。

これまではもしかしたら、逆に、自分のことを許してあげられずに、
「もっともっと」「まだまだだ」「こんなことでへこたれてどうする」
と自分に厳しかったんじゃないでしょうか???

不思議なんですが、、、

自分のことを許してあげると、対峙する側も許せるようになっていくのです。
そんな自分が素直になっていく過程で、自分の愛し方がわかるようになっていき、
自分の良さにも気づけるようになっていきます。

これが、私が重りのことを、「重りさん」と呼んでしまう理由です。

・・・
・・・
・・・

重りさんは、たしかに過負荷です。
でも過負荷だからこそ、わたしたちに「感じること」を与えてくれます。
感じられたことで、自分の愛し方がわかっていきます。

それが、、、「自信」というものではないでしょうか???

自分を肯定してあげる。自分を信頼してあげる。
すると、重りさんや重力も「信じられる」ようになっていきます。
こういう心理が、、、私の動作の秘密です。

そして、、、その信頼度が、、、
筋力に頼らないリラックスとスムーズさとやわらかい安定などにつながっていきます。
その信頼度だけで、ほんとうに動けてしまうから、、、ますます「信頼癖」がついていきます。

そればかりか、、、そういう動作で動く鍛えるわけですから、
そういう体にコンディションになっていきます。動けてけがもしない。凝らない。
やればやるほどやわらかく、軽くなっていく。疲れも取れたり。

ますます「重りさ~ん!」って感じになっていきます。



・・・
・・・
・・・



以上、、、実感が大事、と何度も触れるのは、そういう意図から。
普段から、食事でも義務的に食べるよりも「自分のために、味わって食べる」など、
「自分のことを大事にしてあげる習慣」がとても大事だと思います。

時間に追われるよりも、「休みたいときは休む」「やる時間を決めて、その時間だけやる」
周りや評価に動かされるよりも、「自分がしたい、と思うことを、やれる範囲でやってみる」

私もこのような考えに至ったのも、仮に周囲から「変わってる」「難しい」といわれようが、
それで変わるようなものじゃないし、周囲と闘ってそうしてるんじゃなく、
「闘う以上に、それがあまりに気に入り、豊かで、理想だから」と確信してるからです。

そういう確信があるからこそ、、、こびてまで売り込みはしないのです。
だって、、、その人の領域であって、変わるのはあくまで「その人の意志」ですから。
尊重というか、意志を大事にしたいのです。そう思える自分になっていくものでもあります。




先日と同じ動画。瞬発力養成だとされていますが、、、
[広告 ] VPS




重りの扱い方だけに照準を縛りますが、、、
でもこれは、重りの扱い方だけではなく、あらゆること通ずるのではなかろうか???
と感じています。



いちばんのコツは、、、



敵を作らないこと



ようは、闘わない。争わない。戦いのリングから降りる。



でもこう申すと、たいていはこう考えるでしょう。
「じゃあ、、、嫌でも我慢するの???」
ばっさり切らせてもらいますが、我慢するぐらいだから、すでに敵だということです。

でもまた、こういう風にも考えるでしょう。
「じゃあ、、、我慢して友好的になるの???」
我慢するぐらいだから、本心は嫌がってるということです。

仲良しごっこは一番疲れるでしょう???
我慢ごっこでしょうから。。。



重りに関していえば、闘えば闘うほど、感じる重さが増します。
闘わないことが、いちばん軽いのです。
それが「関係性」といわれるもの。

敵が生まれ、支配被支配、勝敗が生まれる。
でもこれらは、両者がワンセットで生まれます。
でも、どうして闘ってしまうのでしょうか???



それは、、、自分を否定してるからです。自分への肯定が足りないからです。
言い換えれば、自分に厳しいのだと思います。
そして、自分を見る目線と同じ目線で、相手を見ます。

つまり、敵は他者だけではなく、自分にたいしてもそうなんです。



明ちゃん体操のふたつめ。闘ってないのにすいすいと。。。
[広告 ] VPS

重くなっても、表情や動作が一緒。
[広告 ] VPS




重りだって例外ではありません。動画を見ていかがでしたか???
自己否定が限りなくない心地よい感じがあると思います。
重りも敵にしないし、自分も敵にしないのです。

相手を闘う敵だと見なす。それ以前に、自分を敵にしている。
それは、自分を肯定できてないから、相手も肯定できないのです。
相手を信用できないと感じると同時に、自分へも信用できてない、ということ。

また、自分への信用が足りないから、
他人軸になって、被害者意識になるのかもしれません。
「お前がやった」「お前が邪魔した」「お前が攻撃した」

あるいは、うまくいくには、こんな生ぬるいのではいけないんだ、とか。
あるいは、ゆっくりじゃだめ、一気にできなければ、とか。
プロセスを喜ぶよりも、ゴールから見た自分を否定したり。。。

やられた側受けた側は、「闘う」か「逃げる」しか判断できません。
原始的な脳による判断です。でもこれがもっとも強烈なインパクトとして記憶に残る。
鍛えるってそういうことなのでは???と疑わないのも、そういう影響かもしれません。



では、、、自分への肯定を増やすには、どうすればいいでしょうか???



自分軸で感じること。自分を満たすこと。自分をいたわること。などじゃないでしょうか???



重りには、わかりやすく重力が働きます。
これを我慢して「重くない重くない・・・・」っていうのがすでに闘い。わかりますね。
我慢せず、「これが重さか~」「重いんだね」「そうだね」と感じること。受けること。いたわること。

これが「自分を肯定する第一歩」です。

そういう肯定癖が、未来を作ります。小さな「できた」が、次のできたへと加速させます。
自分にたいし友好的になり、重りにたいしても友好的になります。
やがてひとつの関係性ができあがり、
重りの重力によって動きがアシストされてしまう、という関係性へと発展します。

自立という意味です。
ようは、、、「闘わなくても、動けちゃう」という自己肯定です。
罪悪感なく、認めてしまえる感じ。許せてしまえる感じ。

闘うから、、、争いになり、争う手段ばかりが強化されます。争えば、傷跡も残ります。
原始脳の強烈な記憶になります。
でもほんとうに強いのは、そうやって感情的になったり、感情を消したりすることではなく、

感情を豊かに出す

ということ。「闘って勝つから嬉しい」「打ち勝てて重量が上がって嬉しい」というのではなく、
「闘わず叶ってしまう」
「頑張らず頑張れてしまう」
そういった嬉しさ楽しさ心地よさ快適さ不思議さ。これこそ重要ではないでしょうか???



(他者や自分と)闘う時点で、自分の価値を下げています。
自分の価値をもっと高く設定し、感じることに長けていけば、
頑張り方も変化していき、友好的で、かつ自分に一生懸命になれる。ベストが尽くせる。

そう、、、自分に一生懸命であること(自分への肯定)が、友好的につながるのです。
自分を我慢した仲良しごっことは、天と地ほどの差です。



本当の体の使い方とは、、、
本当のトレーニングとは、、、



争いや我慢に備えたものではなく、



争いや我慢というリングから降りるためにある。



そこに一切の罪悪感を持たないこと。
できてしまって、、、いいのです!!





幸運体質の作り方



思うんです。。。

体と心は、、、つながっている。
心のリラックスは、体のリラックスであり、
体のリラックスは、心のリラックスでもある、と。

力んでいると、
余計ながんばりを強いてしまいます。
余計ないばらを作ってしまいます。

先のリンクでは、、、
「力みの原因」と「うまくいかない原因」とが一致するかも???と述べた。
それで、その力みを取る気持ちの面からのアプローチを述べた。

動画をご覧ください。

[広告 ] VPS




リラックスが、、、動きの良さ(難なく挙がってくれたこと)を実現します。
その動きが、、、良いコンディションを作ってくれます。
リラックスが、、、動きとコンディションを「実現」させます。

リラックスは、、、、実現させるのです。。。

ですので、、、動きができているのなら、、、気持ちも、その動きのようにしてみます。
しかもその動きは、いばらでこしらえた思考や力み満載の動きではなく、
リラックスによって単純化できた成功例や模範例。

うちのお客様でも、、、多くがこのように単純化して心までリラックスするから、、、
思考癖を取っていくから、、、うまくいくのです。そういう人がうまくいくのです。
表情も豊かになり、ほぐれていき、温かくなっていきます。

できたものを穿り返したりせず、リラックスして安心しきったときに、、、ギフトが得られます。
体のリラックスは、心のリラックスです。
でもその心が力んでしまえば、、、体もリラックスが台無しになります。

表情も良くなるし、気分も良くなれば、、、
学習意欲も増します。学習習得がうまくなります。
みためにも好印象になります。
気張らない、自然なポジティブになっていきます。

体のリラックス。心のリラックス。ようは、リラックスは、いろんなものを実現させてくれます。


・・・
・・・
・・・



さあ、、、この幸運体質を、、、どのように活かしましょうか???




私が動けば、、、運動の価値観や先入観まで変わってしまうのです。

[広告 ] VPS




最近、こういうことに気づくようになりました。
「力みの原因」と「うまくいかない原因」とが、「一致する」と。
「力みの原因」は、私のなかでは「ふたつ」だと感じており、、、

ひとつめは、、、思い込み。

もうひとつは、、、他者目線。

その思い込みの中に、他者目線も含まれることもあります。

思い込みとは、過去の経験も含め、自分で自分を縛ってること。
他者目線とは、世間体。常識。通念。それらに支配されることも含めた思い込みのほか、
「相手に勝たなければ、、、」逆に「相手に負けるのでは、、、」



お客様が運動効果に手応えを感じ始めるとき、、、

それは、、、

「自分の感覚で」体得できたときです。
「自分の感覚」で、「これでいいんだ」と感じられたときです。
「自分で自分を否定しなくなったとき」です。

それぐらい、、、力みはしつこいのです。
でも、、、ほんとうは、、、うまくいく人は、、、
無意識でのネガティブ願望が少なく、意識でこうしたい、と思うとおりの無意識になっている。

力が抜ければ、、、解放される。嬉しい。
でも無意識では、、、「他者目線」が襲い、「思い込み」がブレーキをかけます。
これでいいんだろうか???限られた人しかできないのでは???うまくいっていいのだろうか???
でもこのとき、、、「自分主体で」感じられていません。

だから、、、運動で、、、「自分主体“を”」「感じて」いく。「自分主体“で”」「感じて」いく。
そして、、、「できた範囲」の「幸運」を「信じていく」
その「幸運」を「当たり前」にしていく。

だから、、、継続が大事。

私でも、世間と違ったことをしてますが、でもやっぱりぶれないのは、、、
自分を信じてますし、それでうまく行ってるから。何より、自分で感じられたから。
うまく行かないときは、、、私でも、、、力が入っています。
ものごとを思考して、シンプルなものに添加しようとしたとき、力が入ってるものなんです。



でも、思い込みや他者目線は、急に抜けるわけじゃないし、無自覚に侵されてるものだから。
また、仮にできたとしても、、、また疑いが生じて、、、力んでしまう。頑張ってしまう。。。

ついついライバルを他に向けたり、自分に向けたりします。
戦うことが生きがいみたいになってしまう。勝つか負けるか。
では、自分で感じる。自分を感じる。じゃあそれには何が必要でしょうか???

重りを持っても、力んでしまう人。戦ってねじ伏せようとする人。依存してラクをする人。
素直じゃない人が無心になれるのは難しい。とくにトレーニングでは戦うことが目的になりがち。
無心になること。それが私の究極です。リラックスして感じられれば、普通はうまくいくのです。
でもまた疑いが出る。あるいは、学び始めは疑いが出ることもあるでしょう。

これは、、、解決できないのでしょうか???
やりこむしかないのでしょうか???





それには、、、過去の自分と今の自分を認め、感じ、許し、愛することが有効です。

力みは、結局、、、自分を否定してるから、起こるのだと思います。
リラックスしてるとき、、、自分を肯定できていませんか???
だから、、、自分を肯定してあげること。それは、プラスの自分もマイナスの自分も。

他人をライバルにしてては、自分を癒してあげられていませんし、
自分をライバルにしてては、我慢を強いてしまいます。
それは結局、、、自分を否定してることが始まり。このバランスを変えることです。
シーソーがほんの少し反対向き(ポジティブ側)に傾けばいいのです。

だって、かつては、力むことでしかできなかったし、それが最善の方法だったんでしょう???
かつてのできる限りのことを頑張ったんです。よくやったね。。。認めてあげてみては。
数値分には結果が出たが、それ以上にはならず、ケガもした。どうでしたか???
悔しかった。。。つらかった。。。傷ついた。。。我慢せずに、認めてあげれば。。。

それでも今まで、なんとかやってこれたわけでしょう。。。もう運動ができないのではなく。。。
つまり、そこまでひどかったにもかかわらず、よくここまで頑張ってこれたわけなんです。
しかも、今でも、、、頑張っている。このことも認め、愛してあげ、肯定してあげれば・・・・・。

・・・・・・

自分を肯定できず、否定するのは、自分に対するもっとひどい仕打ちかもしれないんです。
自分にやさしくしてやれなかったことで、、、今も引きずってしまうのではないでしょうか。
今なら、自分にやさしくできる。ほんとうによくやってきたよ。そして悔しかったな。。。
でもそれでもやってこれたなあ。。。そして今も頑張っている。あるいは変わろうとまでしてる。

ようは、、、どんな自分であっても、その自分を否定しないこと。愛してあげること。

・・・・・・



でもこうして「私の動き」ができたようなものです。
お客様も、こうして自分を否定しなくなったことで、劇的に変われたのです。
いえ、、、変われたときは、、、そういうものなんです。

そして、できる範囲から、1%のその手応えから大事にしていくこと。そして、それを肯定すること。
いえ、、、過去も今もマイナスを肯定できた今なら、、、自分を肯定しやすくなります。
つまり、、、リラックスしやすくなります。

「あの頃が何だったんだ」と振り返るときは、その頃をいとおしく包んであげて欲しいです。
ついつい力んでしまったときは、、、うまく行かなかったときは、、、それこそ肯定しよう。
そういう過去を包み込み、肯定してあげ、今ここまで良くなったことを肯定してあげればいい。
私の指導が基本、「褒める指導」というのも、、、納得でしょう。。。

(デッドリフトよりも、クリーンのほうが、、、それが感じられやすく、私は気に入っています)
そういう動きだから、、、そういう機能性になり、、、そういう体質になる。
つまり、、、機能的でストレスフリーな体質。動ける体質。健やかな体質。
それが“自然と”実現します。

[広告 ] VPS





自然と、、、実現します!!




実現するときは、、、自然と!!なんです!!




本編はこちらです。
先にこちらから読んでください。



さっき、この編に加筆しようと思いましたが、やめて、新しい記事にします。
では続けます。



「動く」「運動する」というただの発散で終わるのではなく、
奇跡の実感を自分で感じるのです。つまり、、、根本入力が変わる感じです。
「他者ベクトル」から、「自分ベクトル」へ変わるわけですから。

重さを実感し、その実感が動作を実現させ、マジックやハッピーを実感します。
自分ベクトルになったとき、他者ネガティブも、もしかしたら自分次第とか、
案外シンプルになってきたりするかもしれません。

ネガティブなものはほんとうに気分を害するけど、
それに囚われている自分もネガティブになってるって、
案外、、、感じてないんですね(笑)そういうこともわかるんです。。。自分談。

たとえば、、、
家庭で依存されてる人が、会社では上司に依存しまくってる、みたいな
どこか「鏡の法則」のような。

やはり、、、こういう運動を生んだ私こそそうですが、
それをやって「自己実現」できたことで、自分の価値が上がると思うんです。
「頑張らなくても、、、できるんだ」「はじめから、価値があったんだ」

私には、価値があるんだ!!豊かや幸せになる価値があるんだ!!

いちばん求めてるのは、そこだと思いますし、
それを取り戻すために生きてる。
価値を大いに感じ、活かすために生きてる。そう思うのです。

「好かれるよりも、こちらから好きになる」「愛されるよりも、こちらから愛する」
後者のほうがよっぽど豊かですし、
前者だと相手次第でがらりと変わるぐらい、ぶれています。

自分の価値を感じられるそういう目線になれば、、、
自分を見るとき、他者を見るときも、何かが変わるかもしれないな。。。

自分にもっと、、、やさしくできるかもしれないな。。。自分と戦わなくも済むというか。
また、他人へも肯定的な声がけになってたり、
でも同時にそれは、「自分の価値」を引き上げてたり。

自分に肯定的になれた目線で、自分に対するのと同じ目線で、相手を見ますから。

かっこつけはネガティブ。そう先日申したように、謙遜もそうです。
自惚れとは違い、自分の価値を素直に認めることも大事だと思うんです。
「私もそこが自分の良いところだと思ってたんですよ」
(褒め言葉にたいし「いえいえ、、、」ではなく)「ありがとうございます」みたいに。。。

こうして自分の価値が上がってくる。長所をもっと認めたくなってくる。

心理の法則では、「そこに注目すれば、それは加速する」
つまり、欠点を直そうとそこに注目すれば、かえってその欠点が加速する。
長所を認め、長所を楽しめるようにしたいね。。。

また、欠点は長所の裏返し。
無口で非社交的なら、自分に集中することに長けている。
大人や常識になじめないなら、それだけの天才肌ってことも???
もし論理性に欠けるなら、それだけの芸術派ってことだよ。。。(私のこと)

(でもその芸術性を信じきることで、論理性という一本の軸になるものだと思います)




たかが運動。たかがトレーニング。
でも「実感」という「自己実現」は、そこまでの可能性を、大いに秘めている。
そう感じてなりません。




私でも、、、みなさんでも、、、常にポジティブであることは、困難だと思うんです。
こういうときに、、、ポジティブにしてくれたり、癒しになってくれたりする。
そういうワーク。そういうレッスン。

「力を、、、入れない!!」
「踏ん張らない!!」
なのに、、、なぜか、、、軽く挙がってしまい、、、
終わったあと、、、鍛えたあとなのに、、、ものすごーく軽くなっているんです!!

[広告 ] VPS




世間という他者からのベクトルになった思考に陥り、ネガティブの堂々巡り。私でもあります。
でも、、、そういうときに、、、こういう運動が、、、ひとつの手助けにもなってくれます。
やさしい運動。脱力の運動。感じる運動。動きや軽さが実現してしまう運動。

心の状態は、体や動き(かたち)に表れ勝ち。
基本的にネガティブなものを感じれば、気分を害し、心も体もどこか硬くなります。
その硬さを、体から取ってしまう。ポジティブ実感することで、気持ちも軽くさせる。

つまり、その(かたち)ひとつで、気持ちもがらりと変わる。
感覚って大事。。。感じることって、大事。。。
その体の状態なら、心だって「認める」ができやすく、「心の軽さ」にもつながりやすい気がする。

その「運動」は、「我慢」で「力んで」やるのではなく、
こういった自己実現は、、、人の心を豊かにしてくれます。
考える前に、、、実感が、大事です。

体も心も、、、ポジティブに。。。
嬉しさや喜びいっぱいに。。。
癒しやほのぼの感であふれるように。。。

「やる最中が、、、心地よく」
「終わったあとなのに、、、前より疲れが取れている」
と、私だけじゃなく、お客様の声からも。。。