「筋肉を鍛えること」にはさまざまな効果があります。それ自体は否定しません。
しかし、どうせなるなら、「良い動き」で鍛えたほうが、良いに決まってます。

筋肉を鍛えるその運動効果を求めた犠牲で苛め抜くよりも、
鍛えられるという結果論で、調和した動きで鍛えたほうが、
筋肉を鍛えた効果以上の効果も期待できますから。
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やわらかいその動きが、さまざまな効果をもたらします。
筋肉も結果的に鍛えられてますので、その効果もあります。
以前お客さまから背中をさわられて、ふわふわでやわらかい筋肉だと驚かれました。
弛緩が自動化され、それでいて元気でもある。ポジティブな体になってるんだと思います。

ネガティブな焦りや闘いや抗いや我慢じゃなく、
ポジティブな心地よさや楽しい熱中度や高まる自信(自己信頼度・自己肯定感の向上)。
身体が作られるにしても、「根本」が違うから、一線を引いたものになるのでしょうね。




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運動って、とくにウエイトトレーニングって、思うんですが、

テスト勉強のような「ここ、テストに出るから、しっかり覚えて置くように」風の注意の仕方。
ようは、「その注意事項が、ありありとわかる動作」
「そこを、しっかり、注意してますよ」風の動作。

実際にやればわかるけど、間違いなく動きが硬くなります。
しかし、そこが「専門性」という圧力なのか、それが正しい、と思い込まされる。
結局、、、思うんです。。。好きでやってないんだな。。。って。。。



安心感も安定に摩り替わり、最低源さえよければそれでいい。
そうやって「我慢」で取り組むんです。
我慢のさせ方の旨さが、専門性に摩り替わるんです。

私なら、、、我慢するぐらいなら、「やりたい・やりたくない」の判断を煽ります。
それでもそういうものだから、、、とおっしゃるなら、その人の責任でそうしてもらいます。
でも、そこに疑問を感じる人なら、「どうすれば心地良いか」一緒になって探します。



落ちる、という動きは、はじめから心地良いものを探しぬいた動きです。
注意点すら包み込んでしまえる「動きのながれ」があります。
テスト勉強の暗記物のように、我慢して、構えて、覚えよう、覚えなければ、ではありません。

重さを感じられれば、、、あなたの体は、どう反応するでしょうか???

それを、その実感を、楽しんでもらってるまでです。


結局それが、、、「ここで言うところの」テスト勉強をせずしてパスする方法、というか。。。
せっかく自分でできてるのに、
みすみす他者承認に陥って自信をなくすような愚は、避けたいものです。



これまで私は、さまざまなレベルの方を見てきました。世界レベル・日本レベル・関西レベルあるいはまったくの無名選手、そういう基準とは無縁の一般中高年など。ただ思うのは、「こういう人がうまくいってたな」という感じや記憶だけはあります。そういう人は、選手レベルとしてだけじゃなく、人として一流なのかな???と感じずにはいられませんでした。



「自分の分野では一流でも、トレーニングの分野では、一年生」



そういう気持ちが、吸収するでも「素直さ」となり、貪欲さを生みます。

「でも・・・・」とは言いませんし、疑いなく信じます。実際にそう私に言ってくれたアマチュアゴルファーもいました。「武田さんを信じてるから・・・・・」だから彼は、スクワットでは60kg程度しかできないのに、でも動きがすばらしいから、ドライバーで300ヤードを超えたり、プロにも勝ったりするなど(彼は会社経営者です)、成果を出されたんだと思います。知ったかぶった質問などはありませんでした。たたただ、実感を楽しんでもらえ、「落ちる」「等速」など、その言葉を自分の言葉のようにゴルフ仲間に楽しく語らっていました。

実際にこれとは反対に「でも・・・・」とおっしゃる方も数多くいました。ある方は、「トレー二ング後は筋が弛緩する」ということを「感動」と捉えませんでした。私の「落ちるスクワット」でたしかにほぐれはしたものの、彼いわく「重量から解放されれば、軽く感じるものじゃないんですか???」。そこで、彼が普段からやってる「私が硬い動きだと指摘したスクワット」をやっていただき、その後腰をぐるぐる回してもらいました。すると、、、(腰まわりががっちがちで)言葉を失っていました。でも思えば、最初から「信じよう、としてなかった」のだと思います。対立するチャンスを窺っていたのかもしれません。私もあのとき、実際には気分がすっきりはしませんでした。彼に恥をかかせた気分にもなったし、またどこかで疑うだろう、そう感じていました。

一年生になれるから、、、丁寧に感じよう、実感しよう、と謙虚になるものです。
自分のために、味わおう、とするものです。
損得勘定で、上級生気分で「裁く」ようなことは、しないのです。

信じる気持ちがあるから、今、この実践時間を大事にし、実感を大事にできるのです。
信じられる人は、他人に対して、もそうですが、「自分に対して」信じきれているんだと思います。
知ったかぶって、先ほどの例みたいに赤っ恥にはならないはずです。



「一流は、一年生になれる」



そう思えてなりません。
そういう気持ちが、感性を磨き、自分の成長へつなげていかれるんだと思います。
私も「刺激」になるぐらいです。




私は、リラックスを掲げ、頑張らない頑張り方を求めています。
しかし、誤解があってはいけません。

怠けているのではありません。
むしろ、、、的確で妥協がありません。がんばり方がうまいから、余計な負担がないのです。
それでいて、効果的で、奇跡のようなものなのです。

少なくとも、できる人というのは、やることそれが何であれ、それに熱中できる人。
そう思います。つまり、、、意志を持って、責任を持っています。
本気で取り組むなら、必須ではないでしょうか???

しなければいけない???
したほうがいいのかな???
というあいまいな思考じゃなく、

「これだ!」とか「自分はこうだ!」とか「する!」「やる!」とか、ようは意志を持っています。
だから、真剣なんです。だから、感じられるし、楽しめるのです。
楽しむとは、遊びや怠けを楽しむのではなく、そのことを楽しめる、ということです。

意志を持っている以上、嫌だ、と思ったら、やめる決断もできる。
きつい、と思ったら、休むこともできる。しっかり「自分を」「今を」感じられている。
意志を持たないから、人任せの判断になるのです。ようは「無責任」なんです。

だから、取り乱したようなテンパリ方焦り方、数字や知識だけを求めた慌て具合ではなく、
自分のことに一生懸命、自分のために一生懸命なんです。ようは、的確なんです。
私も見ていて、すがすがしく思えるんです。ミスしたとしても、良いミスなんですね。

やらされる、という依存じゃなく、
とりあえず、という無責任じゃなく、
本気でやりたいなら、、、明確な意志と責任ある行動を。




指導者という見解は、人によってさまざまな解釈をされると思われます。ここでは、
「私は、こういう指導者です」「私は、こういう指導者になってしまいました」
という話をします。

当初は動作について動画を撮ったのですが、今思えば、、、
「築いた動作のとおりの指導者」
になったような気がします。
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「武田さんは、どういう気持ちで重りを挙げてるんですか???」
「強い気持ちですか???」
「強さですか???」「勝つこと???負けないこと???」「支配すること???」

以前某ジムの会員から質問を受けたことがあって、即答でこう答えたんですね。。。




ウィンウィ~ン!!




いつもどおりでおこちゃまが出てしまった私は、そう無邪気に答えてしまい、
会話が終結したことがありました(笑)。
でも多くが、、、ウエイトトレーニングたるもの「戦いに勝たねばならない」と「義務感」でいっぱい。

「どうしてそんなに簡単そうに上がるの???」
「リラッ~クス!!」
そう答えたこともありました(笑)



・・・
・・・
・・・



私がいいたいのは、、、



そんな挙げなければいけない義務感が、能力を台無しにしてないか???ということ。
挙げても挙げなくてもいいんじゃないでしょうか???
ようは、、、自分に選択権があって、世間や常識に合わせる必要はない。

戦いに勝っても、どうして実用面で活きないか???
ずばり、、、勝っても勝っても(負けたとしても)、負けた気分だからです。
そう思いませんか???

うちは、、、勝つことも負けることもありません。
むしろ、、、自分に自由な選択権があって、自分の感じ方をもって接している感じ。
そういう気持ちで向き合うから、重りとの協同作業になっていくのです。

いわば、、、「自立」しています。

「闘うことでしか満足を得られない=戦う相手がいなければいけない」のです。
ようは、誰かがいなければ、満たされない。すでに相手に支配された人生です。
しかし私は、、、自分の満足、ようは「自分が心地良い選択をして」行動をしています。

そういう挙げ方です。
だから、協力を素直に求められますし、先入観なく相手と向き合えます。
そういう気持ちや動作こそ、、、実用性じゃないでしょうか???

つまりは、、、
人を押し付けたり縛ったりすることが指導者の役目ではなく、
人を見守ってあげることが、指導者の役目だと、自分では感じています。



・・・
・・・
・・・



私は基本的に、、、「こう動きなさい」「ここを意識しなさい」という指導をしません。
代わりに、、、
「素直に感じられる具材」だけを用意し、見本を見せ、味わっていただくに過ぎません。

指導も、支配的になるのではなく、お互いの協同作業で成り立ちます。
互いに「自分の領域」というのがあります。もし私が助言するとしたら、、、、
「それ、ほんとうにあなたですか???」「あなたのほんとうは、、、どうなんですか???」
ということに立ち返れるきっかけ作りです。

素直に実感し、素直に行動できること。
義務感や我慢から解放し、意思を尊重し、意志を持っていただくこと。
だから、人を見守ってあげられるのです。信じてあげられるのです。



でも、、、、重りさんは、、、
自然物のひとつであるがゆえに、、、
そういうことまで教えてくれてるような気がしなくはないです。



愛のある豊かな行動を。




それが結局、、、みためには「勝ってる」ようにも映るし、うまくいくんだと思います。
でも本人は、、、
頑張った感や打ちのめした感とかがなく、むしろ温かい気持ちなんですね。



何より、そういう動作が自動化した私です。
そういう人格にもなっていくでしょうし、
でもそれを押し付ける気もなく、自立してますのでね。。。



甘い指導者。



人は、誰かにされたとおりのことを、別の人にするところがある。
厳しく育てられれば、自分の気持ちを押し殺してでも自分がされたとおりに人にしてしまう。
でも大事なのは、その当時、自分は、どう感じていたのか。

私のなかでは、元々自然なところもあったので、どこか自由な感じでした。
だから、誰か見本があったわけじゃなく、自分で作り上げたぐらいです。
褒められて育てられた過去も、じつはあります。くわしくはこの記事

だから、、、お客様にも、支配ではなく、自分を築いて欲しいって思えるんですね。
でもそれが、、、結果的に、、、いちばん豊かで、愛があって、もっとも強力かもしれません。
何より、、、自分をいたわり、癒し、愛してあげられる、自分を大事にした一段高い行動だから。

そういう行動が、、、波及すれば、、、世の中も、、、変わってくるのだと思います。

でも、、、自分の身の回りだけで、、、充分です。

私は、、、私のやれる範囲で、、、します。




「チャイムが鳴ったら、そこで止めて休憩しなさい」

私が小学生のころの恩師の話。
チャイムが鳴ったにも関わらず、
黒板の文字を書き写したり何らかの作業をしていた子らにたいしてよくそう言ってました。

それが定番にもなっていて、
「チャイムが鳴っても止めない子=できない子」というふうに
私のなかで刻まれていったものです。

休み時間は、休むもの。
休み時間にまで勉強をもちこまない。
勉強は、勉強時間に集中するもの。
休み時間は、休むことに割くもの。

・・・
・・・
・・・

あれから30年も経ち、大人になって社会にも出て、ふと振り返ったとき、

あるいはビジネス本など書籍からも知ったりしたことを振り返ったとき、

できる人は、、、どういう行動を取っているだろうか???
豊かな人は、、、どういう行動を取っているだろうか???
休んでいるときなどに、仕事を持ち込んだりするだろうか???

そういう情報を知りたくて、バーゲンセールのように奪いあわんとしている人もいます。
案外、、、小学生の頃の教えに大きなヒントがあったりするものだな、と振り返ります。
ある心理関係の書籍によれば、貧乏体質には3つの原則があると謳っており、
それは、「我慢する・争う・罪悪感を抱く」と書かれてありました。

私のトレーニングも、残業がないトレーニングです。
その時間に凝縮する習慣が、、、それ以外の時間を彩らせるからです。
作業しながら考え事???それは最悪で、作業も中途半端、考え事も中途半端です。
食事はその味覚や食感に酔いしれ、くつろぐならその実感に酔いしれるのです。




... 続きを読む
ローカルなラジオ番組(報道番組)を聴いていました。そこでは世界と比べた日本の労働時間などについて語られていました。ゲストの人は、中小企業コンサルの方で、海外あちこちにも調査し、労働体験もされた方でした。日本は労働時間が長いわりには生産性がない、という結論でした。サービス残業などの文化、残業しなければ(残業代がなければ)生活に影響する、などの課題があるその水準を見直すことも大事ではないか、という声。そして、私が知る限り(以前経験した社員業務やサラリーマン時代など総括して)「同じ仕事なのに他人とかぶったり」「意味のないような事務処理に終われたり」「稟議書(すぐに敏速に対応すればいいものでも、上司にまたその上司へ報告報告・・・となって処理が遅れる問題」。ゲストいわく、海外では労働者への権限も多く、責任もあったとのこと。

今の世界で見える目線が現実だ、とするのは早計で、
少し目線を変えただけで、急には解決しなくとも、意見としては出てくるわけで。
やらされ感や義務感ではなく、やりがいへと変わっていくのでは、と共感もした。

私の手法は、世間から見ればあきらかに外れているだろう。でも思います。
動きの生産性をもっと高めれば、、、労働時間じゃないけど、
運動強度や時間だって、もっと少なくできないだろうか???

そんなに重い重量が、、、必要だろうか???と。
そんなにたくさんの種目が、、、必要だろうか???と。
そんなにたくさんの知識や情報が、、、必要だろうか???と。

それよりも、、、気づきが大事じゃないのだろうか???と。

これは指導でずっとやってきたことです。
パワーリフティングをやってる私でさえも、重量へのこだわりがない。
それより、うまく挙げたい、というその能力を磨いているぐらいです。

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まるでバーゲンセールで「奪い合い」をやってるそういう光景みたいになれば、
一歩離れてみればいいんじゃないだろうか???
何でも賞味期限を決めてしまい、初めから資源が限られてるみたいで。。。

宇宙の資源は無限だと知ったことがあります。
無意識と宇宙はつながってる、とも知ったことがあります。

その能力が劣る。だから急いで行う。気張って踏ん張って頑張ってやる。
私なら、、、能力を磨いて、ゆっくり丁寧に行うほうを、選びます。
後者のほうが、、、人間的価値も高いだろう。。。結果も自然と出るだろうし、品質も高いのだから。
前者を見てて、、、リスペクトできるだろうか???




周りがそうやるから、自分も。。。
そういう無責任さが蔓延するから、ますます世の中が支配的になるんだと思う。

「しなければいけない」
「してはいけない」
「すべきだ」「そうあるべきだ」

これらは本当に的を射抜いているのだろうか???

「したいから、する」
「したくないから、しない」「いやだから、変えたい」

このほうがはるかに的を射抜いているとしか思えない。
もちろんその意見も、本心や感情の「品質」次第だが。。。
ようは、、、ポジティブかネガティブかということ。
つまり、、、建設的なのか批判的なのか、ということ。




結局思うのは、、、自分を信じ、貫ききった人が成功してる、ということ。

これは、「学習」や「ものを選ぶこと」においても一緒。

あっちのほうがいい。こっちのほうがいい。そうやってあれこれ探してるうちに、
その「あっち」も未完成。その「こっち」も未完成。選んだことに責任を持てず、集中しないから。
しかもだらだら時間だけが過ぎていく。しかも一貫性がない。

あるいは、「あっち」か「こっち」か二者択一だとして、選んだ側に責任をもてないケース。
「こっちを選んでいれば・・・」と思う人は、
結局その「こっち」を選べば選べばで「あっちにしとけば・・・」となるでしょう。

仮にもっとすごいものがあったとしても、、、選んだことに集中し、信じること。
信じきれること。それができた人が成功してますし、才能や素質ではありません。
私個人的に「教えやすい・教えにくい」の話ではありますが、それが結果に反映されます。
これは身勝手な話ではなく、そういう現実なのです。

考えず、計算したり、どうしようか試したりせず、やらないよりはましか、という打算でもなく、
「今」を無邪気に感じ、楽しむだけ。私もそういう空間作りにしたくてやっています。
そういう楽しめる人は、今できてなくても、「絶対に大丈夫」って思えるものなんです。
私が見てるのは、その人の「ミスり方」です。ミスがいけないのではなく、その作法です。

私が嫌いな言葉は、、、「とりあえず」です。

最後に、私がどうして、世間とは一線引いた目線の指導や考え方なのか。
一貫してるからです。
でもそれでいいと思っています。その一貫から、すごいものが生まれるからです。
その一貫から、品質の向上へつながっていくからです。

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私のなかの「小さな習慣」


それは、、、


おおまかに、、、


「ながら動作をしない」


たとえば、家で食事なら、なるべくテレビを見ながら食べないようにしたりします。
ようは、、、味わいたいのです。後片付けも、後でやるようにします。「後・片付け」だけに。
カフェにいくなら、コーヒーを飲みながら本を読んだり事務をしたりはしません。
コーヒーはちゃんと味わい、コーヒーを飲んだ後に、本を読むようにしています。
たまに近所の温泉に行くときも、余計なことは忘れ、今、その気持ちよさを味わいます。
とくに浸かり始めが、サイコーですね。。。うわ~気持ち良い。。。

歩きスマホは本人はおろか、周りにも危害が及びます。
それだけではなく、ながら操作は、本人が感じることを捨てているようなもの。
今の歌手を悪く言うわけではありませんが、歌うなら歌う、踊るなら踊る、となってないから、
見てる側もいまひとつ、、、何かを感じ取れたり響いてくるものも感じませんし、、、

ウエイトトレーニングのいいところは、、、重りがある、という点です。
操作法に惑わされず、重さを実感し、重力を感じ取れることで、動けていく点です。
その重さを感じ取るために、そこだけに集中できる点です。

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バーベルしか感じてませんので、それをいかに感じ取りたいため、
力は入れませんし、バーベルに歩み寄ります。
歩み寄りに関しては、バーベルを前後から挟み込むのですが、重りが自分側へ来てくれるので、
結果的に「自分→バーベル←自分」というカタチになります。

力を入れて頑張るのは、焦りやテンパリからです。
そういうフラクタル(相似形)は、どこでもつきまといます。
だから、、、感じない。。感じたくない。。。感じられない。。。。

「闘うか、逃げるか」・・・・・という発想です。そういうプロセスができあがってるからです。

あわててことを済まそうとしてる接客とか、そういう人を見て、良い気がしません。
「良い気がしない=その人に良い気がしない」のです。客が大事にされてない。
ひとことで、愛が足りないのです。それも「その人自身がその人にたいして」

自分がされてきたように、相手にするからです。

ディズニー関連の書籍によれば、そこの研修では、
新人はまず「おもてなしを受けること」から始めるそうです。
先輩や上司からもてなされることで、自分がされたように人をもてなすからだそう。

じっくり味わう。闘わず、仲良くする。協力を窺う。そういう目線。
これは、ウエイトトレーニングの話ではあるが、トレーニング以外の時間でも当てはまるし、
良いトレーニングは、人をそうさせるものだと思います。

支配的になって、結果ばかり求めて、手段を問わない運動で、ムリをしてきたのでしょう。
あるいは、そのムリが嫌になった。。。嫌だった。。。我慢しなくては。。。その我慢も嫌。。。
ようは「闘うか逃げるか」

そこじゃなく、、、

素直に味わう。今を味わう。
でもそれでできなくてもいい。できたら尚いいが、できなかったとしても、いい。
ここで「自己肯定」が役に立つ。そう、、、まずは「今」です。

その「今」つまづいたときに、過去を洗い流す。
(今やりながら過去を見てては、今をまったく感じませんし、うまくいきません)
そういうことを強要してたなあ、、、でもそれでよく頑張ってきたよな、、、と肯定する。

ようは、、、一気にできるようになろうとしないこと。
うまくいくそのプロセスを味わうこと。
0%やマイナスだったものが、1%でも成功したら、成功癖の始まりです。

大事なのは、、、
「他人目線」や「偏見ばかりで勝手な厳しい評価」「先入観」「常識」じゃなく、
「自分の満足」です。そこがはじまりです。

前者だと、「ゼロか100か」になり、「闘うか逃げるか」になり、自分を苦しめます。
後者のように、「1~99」を楽しめるようにしていけば、100への道が開かれます。
前者だと、せっかく上り詰めても、頂上を見ては「まだまだだ」と肩を落とします。
後者のように「上り詰めたこと」に「満足や達成感」を味わう。



いつも達成感がある。

そういうプロセスを刻んでいきたいですね。。。



「こんなにうまくいっていいんですか」
「いいんです!いいんです!」

そういう重力の神秘を体に刻み、
鍛え終わったあとに、ものすごく身体が軽く感じられ、癒され、温まり、流れ、
それが日常へ反映されていく。
歩行だけでも日常や家事などでも、その動きのスムーズさについつい実感してしまう。。。

あ、、、でもそういう実感って、、、すごくいいことですからね。。。
そういうプロセス。。。
そしてまた、トレーニングに帰ってきて、またうまくいく。。。また日常やスポーツへ。。。

頑張り方も変わってきて、先入観が剥がれ落ちて、頑張った結果じゃなく、楽しんだ結果。
潜在意識が喜ぶ豊かな感じ。素直になれていく感じ。根元から変わっていく。だんだん。だんだん。
その変化(自己回復)が楽しい。即席結果を義務しないから、楽しく豊かになる。

潜在意識の声は、感情を介して教えてくれるものだから。。。
ようは、プラス感情も育つ。マイナス感情にも素直になれる。ようは、、、肯定癖がつく。。。
そういうフラクタル(相似形)となって、、、日常や“わたしそのもの”の形成まで。。。



楽しいフィットネスライフの誕生です。





2017.01.26 我慢を手放す
スムーズでしょう???
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「うわ~心地良い」
「こんなに心地よくて、いいんですか???」



「いいんです!いいんです!」



動画にもあるように、、、バーべルがとても軽く映りませんか???



もちろん、軽さを演じて力んで抗ってあがいて挙げてしまうものでもありません。
重いものは、重いと感じる。感じる。落下を感じる。鉛直を感じる。
だから、一本自然と入る。それが、、、理想の動きを作る。

拾えないから足掻くのです。固める必要もないのです。



自覚ある顕在意識と無自覚の潜在意識(無意識)。
多くは、この両者が分離しています。
無意識は、とても現実的だと思います。素直な感じです。
でも顕在意識では、思考で色々変幻自在にできます。しかし無意識は、素直です。

「思考が現実化しやすい」
これは、無意識が現実化する、という意味。無意識は計り知れない情報量。
しかも、過去も未来も知り尽くしている。

我慢をすればどうなるのか、潜在意識はきっと知っているのでしょう。

我慢して力んで頑張った。でもきっと心の声は、悲鳴です。
でも忍耐はスバらしい、ともっともな顕在意識です。
結果、、、ケガをしやすかったり、数値分以下で終わる、などの現実化。

私が「自分をいたわる」「自分を肯定する」ことを強調するのも、
そうしたくなる「理由」があったから。
私が今の動きになったのも、「理由」があったから。

きっとそれは、、、無意識の声だったと、今では振り返ります。
私は周りに呑まれません。自分でも、素直なほうだと思っていますし、そういわれます。
重力は、すごい味方だし、それを感じることから背かないことで、
その潜在意識と合致し、うまくいくのかもしれません。

でも多くが、大人の常識で「しなければいけない」になっています。
筋力を使って何でも解決しようとします。思考を使って手段を問わず強制処置します。
ダースベイダー化したようなものです。うまくいくものでも、それに罪悪感を覚え、拒否します。

繰り返しますが、潜在意識は、その行動でどうなってしまうのか、答えを知ってるのです。

だからこそ、、

ほんとうは、どう感じてるのか???

そこにアクセスすること。体でアクセスすること。実感すること。
感じにくいなら、過去を振り返り、責めたり否定したりせず、肯定すること。癒すこと。
それは、潜在意識に近づく目的です。




我慢を手放し、、、前途洋洋な潜在意識に委ねましょう。
潜在意識に近づくためにも、、、実感しましょう。
そして、意志を持ちましょう。

「こうしたい。だから、こうする」
「ああしたくない。だから、ああしない」

もし思考してしまい、計算してしまえば、、、
その過緊張で、うまくいくものもうまくいきません。
潜在意識が、うまくいかないほうを選択するからでしょう。そうやって自分を守ります。
「これでもう、期待に応えなくていいんだ(というからだの症状になった)」みたいに。。。

だからこそ、、、「ほんとうはどうしたいか」と向き合うことが大事だと思います。
そして、希望を持つことに罪悪感を覚えず、
自分のために生きること。

他人のために生きてはいけないと思います。
それが結局、自分がうまくいかなくなるという希望として潜在意識が認識する気がします。
自分を大事にしたうえで、こうしてあげたい、という自分の希望なら素敵ですが。
だから見返りも期待しません。やったことに満足しますから。無垢な心です。