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はじめまして。。。当ブログへようこそ。




こちらは、自分の理想を描き続けた“いちパーソナルトレーナー”のブログ。
その内容に、、、愛がある!!
大人になりきれないその素顔で、響くものをお届けします。





動きは“無邪気に”!論理をあざ笑うがごとく。
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さ、、、、自転車は27インチ。何がおきるでしょうか???43歳のアクショ~ン!!
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機能とは、、、筋力に頼らないこと。頼らないことで機能させるもの。解放させるもの。
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たかがランジ、されどランジ!!この自然な推進力とスムーズさは、負担もない!!
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体幹が強いのではありません!!脱力が巧いのです!!
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ブログは最新記事から始まる構成ですが、これまで印象に残る記事も数多く残してきました。
当ブログ・当トレーニングから厳選した記事を、紹介しておきます。
以下、クリックすればリンクできます。



【硬い頭をやわわらかく】

ポジティブに好転するために(意識を変えよう!うまくいく所作、できる所作を知れ!)
勝ち癖をつけるために(しがらみから解放されれば、、、あなたが輝く!)

逃避力(時流というベルトコンベアーから自分を守れ!)
左脳思考を停止する(考えず、素直に感じよう!この魅力を“感じて”欲しい!)



(新)【知っ得★神秘的な運動効果】

ケアまでされてしまう(あの不安や痛みが、解消されてしまう)
瞬発力紀行(アスリートだけじゃなく、瞬発力を要しない方まで“必見”の内容!!)
バランスについて2016・12(バランスは、我慢ではありません。揺らぎです)
期待に応えない教え方(え!今までわたし、、、頑張りすぎてたんだ!!と気づかせます)



(新)【補習授業】

報われるか報われないかの違い(成功する癖をつける!!そのために「どう」行動するか!!)
動作以外のこと(強度や難度・食事やサプリメントにいたるまで)



【温まる強化論・武田マジックのバックボーン】

動きの絶対音感(その鋭さは、思考を超えた絶対的で無条件な感覚から)
五感で感じる(その習慣が、成功につながります!「掴め!絶対愛!」)
ケアのコツ(即席や流行ではなく、リアルな現実を叩きつける!)



【武田さん、という指導者像】

“視野が狭い”と書かれた通信簿(正しい愛し方と受け容れ方で私が救われた日)
14年前の独立宣言(個人として独立した本当の理由)
“いいですね~”のルーツ(指導中の私の名言には、重大なルーツが)







パーソナルトレーニングのお申し込み詳細は、こちらからご覧いただけます




以下はその他の動画です。
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指導者という見解は、人によってさまざまな解釈をされると思われます。ここでは、
「私は、こういう指導者です」「私は、こういう指導者になってしまいました」
という話をします。

当初は動作について動画を撮ったのですが、今思えば、、、
「築いた動作のとおりの指導者」
になったような気がします。
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「武田さんは、どういう気持ちで重りを挙げてるんですか???」
「強い気持ちですか???」
「強さですか???」「勝つこと???負けないこと???」「支配すること???」

以前某ジムの会員から質問を受けたことがあって、即答でこう答えたんですね。。。




ウィンウィ~ン!!




いつもどおりでおこちゃまが出てしまった私は、そう無邪気に答えてしまい、
会話が終結したことがありました(笑)。
でも多くが、、、ウエイトトレーニングたるもの「戦いに勝たねばならない」と「義務感」でいっぱい。

「どうしてそんなに簡単そうに上がるの???」
「リラッ~クス!!」
そう答えたこともありました(笑)



・・・
・・・
・・・



私がいいたいのは、、、



そんな挙げなければいけない義務感が、能力を台無しにしてないか???ということ。
挙げても挙げなくてもいいんじゃないでしょうか???
ようは、、、自分に選択権があって、世間や常識に合わせる必要はない。

戦いに勝っても、どうして実用面で活きないか???
ずばり、、、勝っても勝っても(負けたとしても)、負けた気分だからです。
そう思いませんか???

うちは、、、勝つことも負けることもありません。
むしろ、、、自分に自由な選択権があって、自分の感じ方をもって接している感じ。
そういう気持ちで向き合うから、重りとの協同作業になっていくのです。

いわば、、、「自立」しています。

「闘うことでしか満足を得られない=戦う相手がいなければいけない」のです。
ようは、誰かがいなければ、満たされない。すでに相手に支配された人生です。
しかし私は、、、自分の満足、ようは「自分が心地良い選択をして」行動をしています。

そういう挙げ方です。
だから、協力を素直に求められますし、先入観なく相手と向き合えます。
そういう気持ちや動作こそ、、、実用性じゃないでしょうか???

つまりは、、、
人を押し付けたり縛ったりすることが指導者の役目ではなく、
人を見守ってあげることが、指導者の役目だと、自分では感じています。



・・・
・・・
・・・



私は基本的に、、、「こう動きなさい」「ここを意識しなさい」という指導をしません。
代わりに、、、
「素直に感じられる具材」だけを用意し、見本を見せ、味わっていただくに過ぎません。

指導も、支配的になるのではなく、お互いの協同作業で成り立ちます。
互いに「自分の領域」というのがあります。もし私が助言するとしたら、、、、
「それ、ほんとうにあなたですか???」「あなたのほんとうは、、、どうなんですか???」
ということに立ち返れるきっかけ作りです。

素直に実感し、素直に行動できること。
義務感や我慢から解放し、意思を尊重し、意志を持っていただくこと。
だから、人を見守ってあげられるのです。信じてあげられるのです。



でも、、、、重りさんは、、、
自然物のひとつであるがゆえに、、、
そういうことまで教えてくれてるような気がしなくはないです。



愛のある豊かな行動を。




それが結局、、、みためには「勝ってる」ようにも映るし、うまくいくんだと思います。
でも本人は、、、
頑張った感や打ちのめした感とかがなく、むしろ温かい気持ちなんですね。



何より、そういう動作が自動化した私です。
そういう人格にもなっていくでしょうし、
でもそれを押し付ける気もなく、自立してますのでね。。。



甘い指導者。



人は、誰かにされたとおりのことを、別の人にするところがある。
厳しく育てられれば、自分の気持ちを押し殺してでも自分がされたとおりに人にしてしまう。
でも大事なのは、その当時、自分は、どう感じていたのか。

私のなかでは、元々自然なところもあったので、どこか自由な感じでした。
だから、誰か見本があったわけじゃなく、自分で作り上げたぐらいです。
褒められて育てられた過去も、じつはあります。くわしくはこの記事

だから、、、お客様にも、支配ではなく、自分を築いて欲しいって思えるんですね。
でもそれが、、、結果的に、、、いちばん豊かで、愛があって、もっとも強力かもしれません。
何より、、、自分をいたわり、癒し、愛してあげられる、自分を大事にした一段高い行動だから。

そういう行動が、、、波及すれば、、、世の中も、、、変わってくるのだと思います。

でも、、、自分の身の回りだけで、、、充分です。

私は、、、私のやれる範囲で、、、します。




これは、アスリート向けの内容かもしれませんが、
動きの知恵は、すべての人に通ずると思いますので、
実用面で参考になるとは思いますので、紹介します。

思考で考えてしまうと、もしかしたら、
「瞬発力=パワー」みたいになったり、
「瞬発力=筋力×距離÷時間」「瞬発力=筋力×速度」となってしまったりするでしょうが、

力や計算式だけでは解決できない実感というものがあります。
なぜなら、、、時間が常に流れていて、その瞬間だけを区切ることができないからです。
多くの方がそこを誤解するために、所謂「二段モーション」「二重のキック」になってしまう。

・・
・・
・・

見た目は、すごく短時間に着地してすぐに切り替えしているように映るでしょう。
しかしその実感は、、、「切り返しもせず、けりもせず、着いただけ」
実際に、、、リラックスができていると、筋感覚としてそれがわかるはずです。
「着くだけなのに、、、じゅうぶん、、、蹴れている」「だから、慣性だけでいい」

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「瞬間のなかにもながれがある」とはそういうことです。
見た目の華やかさに目を奪われて、短い着地と切り返し動作を行うことは、理に適っていない。
そう「実感」できれば、、、と思います。

重さを認めず、自分を癒さず我慢して、戦いに挑むその行動に、人としての感性を感じません。
重さを受けて、重くっていいんだ、と許し、自分を癒してあげること。
こういう運動でも、、、切り替えして跳んでいないのに、その基本が築かれていきます。

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普通のスクワットのように「着いたまま」の運動でも、、、
じゅうぶんに、、、、
ジャンプ動作の基礎は、、、築かれていきます。

もちろん、、、、
あえて厳しく言わせてもらえれば、、、あほみたいに切り返す力んだ動作ではないことが必須。
言い換えれば、、、重さを認め、ゆるし、自分を癒す動作であることが、必須。




【関連】静は動なり 動は静なり(プレ編)





静は動なり 動は静なり(プレ編)
静は動なり 動は静なり(本編)

先の記事では感じ方を中心に謳ったのですが、
これも事務的になっては意味合いがずれてきます。
なので、「どういう気持ちで」という部分を今回は謳います。

重りに対峙する気持ちを中心に触れたいのですが、
これはあらゆることに通ずる気がしましたので、「ハートとメンタル」の話になります。
うちではトレーニングを「事務的」には考えてませんし、それが「正しいこと」とは限りません。

いいかえれば、、、「我慢でやるものではない」

まずはこちらの動画をご覧ください。いつもどおりに「簡単」「ラクラク」です。
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「我慢」してることに気づかない方々も多いと思います。
常識や固定観念が浸透してしまい、
「しなければいけないもの」「課さなければいけないもの」と疑わない人も多い。

でも、動画を見て、いかがでしたか???

でも、、、(でもが続いてしまいましたが:笑)

思考が常識化してる我慢の方なら、こう考えてしまうかもしれません。
「じゃあ、、、、どんな手法」「じゃあ、、、どんな技術・テクニック・フォーム・意識」
という「課すもの」「我慢するもの」を得ようとします。

このとき、、、私にはこういう印象を受けてしまいます。
「あなた自身が犠牲になってでも、食らいつきたいのでしょうか???」
「手段を問わず、何が何でも罵倒してでも手に入れたいのでしょうか???」
というふうな、、、「戦う気持ちいっぱいで」「攻撃的な」お気持ちです。

おそらくこういうときは、、、自分を感じられていません。
いばらを選び、闘う気持ちいっぱいで、私さえも怖い印象や恐れる気持ちを感じます。
でもさらにこう畳み掛けるのでしょう。「闘わずして、どうやって手に入れるんだ」

・・・
・・・
・・・

結論からいえば、そういう気持ちだから、吸収できない。会得が難しい。ということです。
でも今度は、両極端で中間の気持ちがなく、「じゃあ、、、ラクすればいいんだな!」と。
そう、、、判断基準が思考から湧き上がり、感情的で感情に振り回された状態。

・・・
・・・
・・・

でも安心してください。そういう人でも変われることができますし、
そこまで戦闘的じゃない豊かな人なら、もっと可能性があるということです。
魔法の言葉を紹介します。



重くって、、、いいんだよ



重いことを、我慢しようとしてきたから、
固めてバランスを取ったり、力に過剰に頼りすぎ、
ケガや実用面に活きない、などにさいなまれていたんじゃないでしょうか???

あるいは、我慢がいやだから、避けてきたんじゃないでしょうか???



私はときどき、、、バーベルなどの重りのことを、「重りさん」と記事で触れたことがあります。
「さん」付けしてます。すごい親近感でしょう???
でもこれは、結果論でそうなっただけで、そうしようとしたわけではないんです。

「重くって、、、いいんだよ」

これは、
そう素直に感じて、いいんだよ。
そう素直に認めて、いいんだよ。
というふうに訳せる、いわば、、、「自分を許してあげる魔法」なんです。

これまではもしかしたら、逆に、自分のことを許してあげられずに、
「もっともっと」「まだまだだ」「こんなことでへこたれてどうする」
と自分に厳しかったんじゃないでしょうか???

不思議なんですが、、、

自分のことを許してあげると、対峙する側も許せるようになっていくのです。
そんな自分が素直になっていく過程で、自分の愛し方がわかるようになっていき、
自分の良さにも気づけるようになっていきます。

これが、私が重りのことを、「重りさん」と呼んでしまう理由です。

・・・
・・・
・・・

重りさんは、たしかに過負荷です。
でも過負荷だからこそ、わたしたちに「感じること」を与えてくれます。
感じられたことで、自分の愛し方がわかっていきます。

それが、、、「自信」というものではないでしょうか???

自分を肯定してあげる。自分を信頼してあげる。
すると、重りさんや重力も「信じられる」ようになっていきます。
こういう心理が、、、私の動作の秘密です。

そして、、、その信頼度が、、、
筋力に頼らないリラックスとスムーズさとやわらかい安定などにつながっていきます。
その信頼度だけで、ほんとうに動けてしまうから、、、ますます「信頼癖」がついていきます。

そればかりか、、、そういう動作で動く鍛えるわけですから、
そういう体にコンディションになっていきます。動けてけがもしない。凝らない。
やればやるほどやわらかく、軽くなっていく。疲れも取れたり。

ますます「重りさ~ん!」って感じになっていきます。



・・・
・・・
・・・



以上、、、実感が大事、と何度も触れるのは、そういう意図から。
普段から、食事でも義務的に食べるよりも「自分のために、味わって食べる」など、
「自分のことを大事にしてあげる習慣」がとても大事だと思います。

時間に追われるよりも、「休みたいときは休む」「やる時間を決めて、その時間だけやる」
周りや評価に動かされるよりも、「自分がしたい、と思うことを、やれる範囲でやってみる」

私もこのような考えに至ったのも、仮に周囲から「変わってる」「難しい」といわれようが、
それで変わるようなものじゃないし、周囲と闘ってそうしてるんじゃなく、
「闘う以上に、それがあまりに気に入り、豊かで、理想だから」と確信してるからです。

そういう確信があるからこそ、、、こびてまで売り込みはしないのです。
だって、、、その人の領域であって、変わるのはあくまで「その人の意志」ですから。
尊重というか、意志を大事にしたいのです。そう思える自分になっていくものでもあります。




プレ編なのに後日になってしまいましたが。。。
本編では、買い物袋の話をしました。
重い水とか入れ袋。どうやって持ち上げますか???という話でした。

改めて、重力ってすごいんですよ。間違いなく。
「それを受け容れた人に、力をくれる」と言うのが私の実感です。
そこで、今、事後処理のようなプレ編を申しているのですが、

現場ではむしろ、こちらのほうを先に、やってもらってる感じです。
事務的に、お硬~く、文字だけで、左脳思考論理的に言うならば、
「戻す動きが基本で、挙げる動きが構成される」

でもこれ、、、右脳的感覚的ニュアンス実感で感じる話となれば、
感じ方の能力ひとつで理解の仕方もがらりと変わります。

ようは、「思考的義務感による力み」なのか「感受性と協調によるリラックス」なのか。

本編でいう買い物袋の話も、、、元は、こういうことから派生したのです。
「落下中に、体は、学んでいて、上昇も、同じように、してくれる」
見え見えの切り替えしではなく、やわらかいながれが、大事です。
「ワンテンポ早く」「すでに」「できている」・・・・・意識と無意識の領域でポジティブになっていく。

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ウエイトでいうならば、過去にも掲げましたが、改めて掲げます。
面倒なのでフロントスクワットにしました。
最初のクリーンが、自分でも気に入っています。
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どうでしょう???
速さ(動作速度)も自由自在って感じがしませんか???
これこそ、、、ほんとうの速度です。

静は動なり(初めから、動けている。すでに、ながれがある)
動は静なり(そのながれがあるから、自由自在に変化できる)
速く動かそう!と頑張るのではなく、切り返そう!と気張るのでもありません。
すでにそれは、、、叶っているのです。



もっというならば、、、
挙げるという動きは、存在しない
これが私の結論です。ですが、これも、、、感じ方ひとつです。



落下の仕方。ようは、落ち方ひとつです。
受け容れ方ひとつです。
受け容れずに事務的に落下するだけでは、こうはいきません。
大事なのは、、、感受性と感覚、実感です。



静は動なり 動は静なり 2017・2(本編)はこちら
【過去記事】動作速度について




重力というのは、私たちに不思議な神秘をもたらせてくれているように感じます。

たとえば、普通に買い物をします。買い物袋に商品を入れます。それを手で持ち帰ります。
誰もが経験することでしょう。このとき、たとえば水とか重いものを入れたとき。。。。。
たいていは普通にぶら下げて持ち運ぶでしょう。腕力で持ったりしないはずです。

ここまでは普通ですね。

しかし、移動中、自転車にしろ、車にしろ、
一度降ろした袋をふたたび持ち上げるときが必ずどこかでやってきます。
このときです。。。どうやって持ち上げますか???

腕力で持ち上げますか???

私なら、、、




ぶら下げたまま持ち上がってくれるようにします。すっごく軽いですよ。
逆に力で挙げてしまうと、その力がさらなる重りになって、肩とか痛めそうです。
でも普通はそうやって「力で」持ち上げていると思いますが。。。。どうでしょう???




繰り返します。
私なら、、、重さを受け容れたまま上がってくれるように動かします。
そのためにも、力は極力「入れない」のです。
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腕力など筋力で動かせば、、、こうはラクラクとはいきません。
こういうラクラクだと、終わったあともすっごく軽いし。。。
だから、、、ウエイトトレーニングでも、そういうふうに動いてみるんですね。。。

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ようは、、、落下という「動くもの」を受け容れたほうが自然で、
だから止まったり固まったりしないのです。
重力って、、、すごいでしょう???

うちは「落ちる」っていう名称が代名詞になってるように、
自然と重力を受けてたほうが動けるよ。。。。ってな動きです。
ジャンプなど他の動画も参照ください。跳ばないのに跳べてるジャンプですから。。。

多くが、「足から上へ上へ」と伝える手法かもしれませんが、
私は「争う」「あがく」「勝とうとする」ことをせず、「順応すること」を選んでいます。
ですので、下から上へ伝えなくとも、出力せずとも、「落ちること」で叶っていく。
上から下へ自然と。あとは体に任せて。。。頑張らずにうまくいくほうを選択するのです。

もしかしたらわたしたちに、、、
「フォースの力」とやらを教えてくれてたりして???笑
2017年年末に上映らしいですよ。。。。エイト。。。



ただ、、、バーベルが初めから床に着いていて、
床からスタートするウエイト種目だと、はじめから着いてて落下してません。
こういうときは、出だしの動きが大変難しい。

ですが、、、キーワード「静は動なり 動は静なり」
・固めて止めるでなく、動かさんと動かすでなし。
・その静止は動的(動作の延長)であって、その動作は静的(静止の延長)で自然。

つまり、あくまで、「着いてても落下のうち」だと感じ取れるか、にかかっています。
着いてても落下を感じ取る手法としては、、、感覚でいえば、「あそび」を大事にします。
これは、自然にできていたことを自分で頭で整理した話ですが、、、

シャフトにも「あそび」があって、指でシャフトをフック(ようは、握らないが、放さない)して、
バーベル(プレート)が床から浮かない程度にぶら下げれば、、、
そこがスタートになります。

つまり、、、振り子のような「エネルギー保存の法則」を活かしています。
「静」と「動」の合計が一致し、ただ「静」「動」の比率だけが変化する感じ。
物理の法則だけに、意識しなくても自然とそうなるものです。
だから、気張ってあげたり見え見えの爆発力に、動きの品質を感じないのです。

あと、クリーンのセカンドも、その「あそび」の扱いひとつじゃないか、って感じもします。
ファーストで挙げてる最中は、「シャフトが上、プレートが下」という位置関係です。
セカンドでは動くながれが止まったり遅くなったりした反動じゃないかな(?)と。

言ってしまえば、、、自然発生的な感じだということです。
ようは、、、落ち続ければ、結果になる。そういう感じです。

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いや、、、すっごく軽かったし、自分でも良かったほうだと思うんです。
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自身でもデッドリフトでは、良い時なんかは、、、
シャフトに触れただけでその触れた感触だけで自然と挙がってくれる感じがあって、
もちろん、力は入れないし、力が入れば動きが明らかに鈍りますからね。

何というか、、、人はそもそも「感覚で生きている」ような気がして、
大人の思考によって、「争ったり」「我慢したり」してしまうことで、
余計な操作法が生まれたような気がします。操作法でなければ罪悪感、みたいにも。

操作法自体を悪く言うつもりはありませんが、
思考で判断すれば、そうならざるを得ないのだと思いますので、
そういう意味では適切な判断だと思います。

でも、、、私のなかでは、素直に重さを感じただけで、それでじゅうぶんで、
あとは身体がなんとかしてくれないものだろうか???
それが、ほんとうの意味での体のしくみではないだろうか???そう思います。

「あ、重いな」(触れた感触)
「あれ、挙がったな」「動いたな」(不思議な感触)

重さを認めないその思考が、体を筋力で固まらせているように思えてならないのです。
「重い=闘う」となって、そうやって運動することで発散することもできるのでしょうが、
私には苦痛です。

だって、もっとシンプルでラクで心地良いやり方があるのに、わざわざ・・・・って思いますからね。

感じるためには、力みを捨て、思考を捨てる。
「感じよう・・・」じゃなく、構えないで自然に。。。。
「自然発生的」っていうんですか???

動画ではクリーンが間に入りましたが、
ジャンプしたような動きに映りますが、自身はそういう気はさらさらありません。
着きなおした感じ???重さを感じなおした感じ???でしょうか???

重力が鉛直落下するのは、承知のこと。
でもこれこそ、、、「承知」なんですから、、、意識しなくても、、、って話です。
それが、、、感じるというか、自然発生的というか。

ただ、、、落ちるというだけで、動きやすく、挙がりやすくなる、というのは、
実感がすべてだと思います。
その実感を、わがパーソナルトレーニングで行っています。

そういう動きで運動すれば、、、体のコンディションは、、、どうなっていくでしょうか???
スポーツなどの実用面でどうなっていくでしょうか???
ぜひわがパーソナルで味わって欲しいと思います。




「チャイムが鳴ったら、そこで止めて休憩しなさい」

私が小学生のころの恩師の話。
チャイムが鳴ったにも関わらず、
黒板の文字を書き写したり何らかの作業をしていた子らにたいしてよくそう言ってました。

それが定番にもなっていて、
「チャイムが鳴っても止めない子=できない子」というふうに
私のなかで刻まれていったものです。

休み時間は、休むもの。
休み時間にまで勉強をもちこまない。
勉強は、勉強時間に集中するもの。
休み時間は、休むことに割くもの。

・・・
・・・
・・・

あれから30年も経ち、大人になって社会にも出て、ふと振り返ったとき、

あるいはビジネス本など書籍からも知ったりしたことを振り返ったとき、

できる人は、、、どういう行動を取っているだろうか???
豊かな人は、、、どういう行動を取っているだろうか???
休んでいるときなどに、仕事を持ち込んだりするだろうか???

そういう情報を知りたくて、バーゲンセールのように奪いあわんとしている人もいます。
案外、、、小学生の頃の教えに大きなヒントがあったりするものだな、と振り返ります。
ある心理関係の書籍によれば、貧乏体質には3つの原則があると謳っており、
それは、「我慢する・争う・罪悪感を抱く」と書かれてありました。

私のトレーニングも、残業がないトレーニングです。
その時間に凝縮する習慣が、、、それ以外の時間を彩らせるからです。
作業しながら考え事???それは最悪で、作業も中途半端、考え事も中途半端です。
食事はその味覚や食感に酔いしれ、くつろぐならその実感に酔いしれるのです。




... 続きを読む
ローカルなラジオ番組(報道番組)を聴いていました。そこでは世界と比べた日本の労働時間などについて語られていました。ゲストの人は、中小企業コンサルの方で、海外あちこちにも調査し、労働体験もされた方でした。日本は労働時間が長いわりには生産性がない、という結論でした。サービス残業などの文化、残業しなければ(残業代がなければ)生活に影響する、などの課題があるその水準を見直すことも大事ではないか、という声。そして、私が知る限り(以前経験した社員業務やサラリーマン時代など総括して)「同じ仕事なのに他人とかぶったり」「意味のないような事務処理に終われたり」「稟議書(すぐに敏速に対応すればいいものでも、上司にまたその上司へ報告報告・・・となって処理が遅れる問題」。ゲストいわく、海外では労働者への権限も多く、責任もあったとのこと。

今の世界で見える目線が現実だ、とするのは早計で、
少し目線を変えただけで、急には解決しなくとも、意見としては出てくるわけで。
やらされ感や義務感ではなく、やりがいへと変わっていくのでは、と共感もした。

私の手法は、世間から見ればあきらかに外れているだろう。でも思います。
動きの生産性をもっと高めれば、、、労働時間じゃないけど、
運動強度や時間だって、もっと少なくできないだろうか???

そんなに重い重量が、、、必要だろうか???と。
そんなにたくさんの種目が、、、必要だろうか???と。
そんなにたくさんの知識や情報が、、、必要だろうか???と。

それよりも、、、気づきが大事じゃないのだろうか???と。

これは指導でずっとやってきたことです。
パワーリフティングをやってる私でさえも、重量へのこだわりがない。
それより、うまく挙げたい、というその能力を磨いているぐらいです。

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まるでバーゲンセールで「奪い合い」をやってるそういう光景みたいになれば、
一歩離れてみればいいんじゃないだろうか???
何でも賞味期限を決めてしまい、初めから資源が限られてるみたいで。。。

宇宙の資源は無限だと知ったことがあります。
無意識と宇宙はつながってる、とも知ったことがあります。

その能力が劣る。だから急いで行う。気張って踏ん張って頑張ってやる。
私なら、、、能力を磨いて、ゆっくり丁寧に行うほうを、選びます。
後者のほうが、、、人間的価値も高いだろう。。。結果も自然と出るだろうし、品質も高いのだから。
前者を見てて、、、リスペクトできるだろうか???




周りがそうやるから、自分も。。。
そういう無責任さが蔓延するから、ますます世の中が支配的になるんだと思う。

「しなければいけない」
「してはいけない」
「すべきだ」「そうあるべきだ」

これらは本当に的を射抜いているのだろうか???

「したいから、する」
「したくないから、しない」「いやだから、変えたい」

このほうがはるかに的を射抜いているとしか思えない。
もちろんその意見も、本心や感情の「品質」次第だが。。。
ようは、、、ポジティブかネガティブかということ。
つまり、、、建設的なのか批判的なのか、ということ。




先日と同じ動画。瞬発力養成だとされていますが、、、
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重りの扱い方だけに照準を縛りますが、、、
でもこれは、重りの扱い方だけではなく、あらゆること通ずるのではなかろうか???
と感じています。



いちばんのコツは、、、



敵を作らないこと



ようは、闘わない。争わない。戦いのリングから降りる。



でもこう申すと、たいていはこう考えるでしょう。
「じゃあ、、、嫌でも我慢するの???」
ばっさり切らせてもらいますが、我慢するぐらいだから、すでに敵だということです。

でもまた、こういう風にも考えるでしょう。
「じゃあ、、、我慢して友好的になるの???」
我慢するぐらいだから、本心は嫌がってるということです。

仲良しごっこは一番疲れるでしょう???
我慢ごっこでしょうから。。。



重りに関していえば、闘えば闘うほど、感じる重さが増します。
闘わないことが、いちばん軽いのです。
それが「関係性」といわれるもの。

敵が生まれ、支配被支配、勝敗が生まれる。
でもこれらは、両者がワンセットで生まれます。
でも、どうして闘ってしまうのでしょうか???



それは、、、自分を否定してるからです。自分への肯定が足りないからです。
言い換えれば、自分に厳しいのだと思います。
そして、自分を見る目線と同じ目線で、相手を見ます。

つまり、敵は他者だけではなく、自分にたいしてもそうなんです。



明ちゃん体操のふたつめ。闘ってないのにすいすいと。。。
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重くなっても、表情や動作が一緒。
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重りだって例外ではありません。動画を見ていかがでしたか???
自己否定が限りなくない心地よい感じがあると思います。
重りも敵にしないし、自分も敵にしないのです。

相手を闘う敵だと見なす。それ以前に、自分を敵にしている。
それは、自分を肯定できてないから、相手も肯定できないのです。
相手を信用できないと感じると同時に、自分へも信用できてない、ということ。

また、自分への信用が足りないから、
他人軸になって、被害者意識になるのかもしれません。
「お前がやった」「お前が邪魔した」「お前が攻撃した」

あるいは、うまくいくには、こんな生ぬるいのではいけないんだ、とか。
あるいは、ゆっくりじゃだめ、一気にできなければ、とか。
プロセスを喜ぶよりも、ゴールから見た自分を否定したり。。。

やられた側受けた側は、「闘う」か「逃げる」しか判断できません。
原始的な脳による判断です。でもこれがもっとも強烈なインパクトとして記憶に残る。
鍛えるってそういうことなのでは???と疑わないのも、そういう影響かもしれません。



では、、、自分への肯定を増やすには、どうすればいいでしょうか???



自分軸で感じること。自分を満たすこと。自分をいたわること。などじゃないでしょうか???



重りには、わかりやすく重力が働きます。
これを我慢して「重くない重くない・・・・」っていうのがすでに闘い。わかりますね。
我慢せず、「これが重さか~」「重いんだね」「そうだね」と感じること。受けること。いたわること。

これが「自分を肯定する第一歩」です。

そういう肯定癖が、未来を作ります。小さな「できた」が、次のできたへと加速させます。
自分にたいし友好的になり、重りにたいしても友好的になります。
やがてひとつの関係性ができあがり、
重りの重力によって動きがアシストされてしまう、という関係性へと発展します。

自立という意味です。
ようは、、、「闘わなくても、動けちゃう」という自己肯定です。
罪悪感なく、認めてしまえる感じ。許せてしまえる感じ。

闘うから、、、争いになり、争う手段ばかりが強化されます。争えば、傷跡も残ります。
原始脳の強烈な記憶になります。
でもほんとうに強いのは、そうやって感情的になったり、感情を消したりすることではなく、

感情を豊かに出す

ということ。「闘って勝つから嬉しい」「打ち勝てて重量が上がって嬉しい」というのではなく、
「闘わず叶ってしまう」
「頑張らず頑張れてしまう」
そういった嬉しさ楽しさ心地よさ快適さ不思議さ。これこそ重要ではないでしょうか???



(他者や自分と)闘う時点で、自分の価値を下げています。
自分の価値をもっと高く設定し、感じることに長けていけば、
頑張り方も変化していき、友好的で、かつ自分に一生懸命になれる。ベストが尽くせる。

そう、、、自分に一生懸命であること(自分への肯定)が、友好的につながるのです。
自分を我慢した仲良しごっことは、天と地ほどの差です。



本当の体の使い方とは、、、
本当のトレーニングとは、、、



争いや我慢に備えたものではなく、



争いや我慢というリングから降りるためにある。



そこに一切の罪悪感を持たないこと。
できてしまって、、、いいのです!!